CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] 1人になっても、バンドを好きな気持ちは変わらない。

1人になっても、バンドを好きな気持ちは変わらない。

WOZNIAK(プロフィール)

WOZNIAK

プロフィール WOZNIAK
1987年生まれ、埼玉県出身。WOZNIAK、TESTAV代表。他にも3つのバンドにに所属し、DALLJUB STEP CLUBではfx(エフェクトと音声加工)とボーカル、OUTATBEROではドラム、HABITではギターを務める。

WOZNIAK(ウォズニアック)
星優太と荒井優来で2008年に活動を開始。ミニマルテクノを軸にした音楽で、リアルタイムサンプリングによるライブパフォーマンスを展開、2013年に1stアルバム『Effects and Nice』をリリース。2014年からは星のソロプロジェクトとして再始動、5月には2ndアルバム『Solution』をリリース。なお、このアルバムでは楽曲の制作はもちろんのこと、レコーディングでの全演奏を星が務めている。
WOZNIAKウェブサイト

「人間らしさ」というのはきっと、その複雑さや曖昧さなんだと思う。それがある人にほど興味は湧くもので、一言では説明できないいくつもの要素や矛盾を孕んでいるほうが、その人が何を考えているかを知りたくなる。でも実は、その根幹には一本筋の通る信念や持論があったりして、インタビューはその表皮を丁寧に剥いていったり、切り離されていたものを繋げたりする作業だと思っている。

それはまさに、星優太に出会って感じたことだった。代表を務める「WOZNIAK」の2枚の音源において、あまりにも音楽性が異なること。バンドを解体しソロプロジェクトとなったにもかかわらず、ライブはサポートを率いたバンドセットであること。1stアルバム『Effects and Nice』でのミニマルテクノを別名義TESTAVで続けていくこと。新生WOZNIAKの始動とともにアナウンスされたトピックは豊富だったが、直接話を聞けば筋の通ったシンプルな結論が導ける気がした。

CONTRASTを愛読してくれていると言う星。リリース後のオファーにもかかわらず、喜んでインタビューを受けてくれた。

撮影協力 : nostos books

Text by Yukari Yamada Photo by アカセユキ

1日で友達100人増やそうぜ!

インタビューは慣れていますか。

そうですね、何度か受けているので。自分で「77ROMANCE」というPodcastもやっているくらい、話すことは好きですね。今日も、なんでも話すつもりで来ました。

埼玉のご出身ということですが、学生時代はずっと埼玉ですか。

高校までは埼玉です。大学は東京ですけど、電車で1本で都内に来れるから、大体池袋周辺で遊んでました。だから、あんまり上京したという意識はないですね。

CONTRAST [インタビュー] WOZNIAK | 1人になっても、バンドを好きな気持ちは変わらない。

音楽は高校に入ってから始めたんですか。

そうですね。軽音楽部に入って、楽器を触るようになりました。

最初は何から手に取ったんですか?

ギターです。今も基本的にはギターをやってます。それと、ドラムもちょっと触ってましたね。軽音部の部室って、ドラムを置いてるじゃないですか。「叩けたらちょっとかっこいいな」って感覚で触るようになって。今でも「叩ける」という程度ですね。

コピバンではどういったバンドをやってたんですか?

今はもうロッキンを卒業したようなバンドを。ハイスタ(Hi-Standard)とか、その辺の世代ですね。フェスは好きなので、未だに行くんですよ。去年もCOUNT DOWN JAPANやWIREに行きました。

星さんって、タフな印象があるんですよね。年越しは幕張で?

いや、渋谷周辺のクラブやライブハウスを回ってました。僕、WOZNIAKの他にDALLJUB STEP CLUBっていうバンドもやってるんですけど、ドラムの後藤くんと2人でチャリで回れる限り回ろうって言って(笑)。UNITやLiquid Roomに行って、入れてくれた人と乾杯して、その人のライブだけ観て次のところに行く、っていうのをやってました(笑)。

かなりの数をハシゴしてたんですね。

そうそう。「この1日で友達100人増やそうぜ!」ってノリで(笑)。年越しのタイミングはUNITでちょっとぼんやりして、「よし、年越したから次行こうぜ!」ってまたハシゴして。BATICAなんて、1分くらいしか滞在しなかった(笑)。

CONTRAST [インタビュー] WOZNIAK | 1人になっても、バンドを好きな気持ちは変わらない。

すごく活発ですよね。

近くに友達がいると「じゃ、今から行くわ!」って言って飛んで行っちゃいますね。特に何かするわけじゃなく、ただ会って話すだけなんですけど(笑)。

人と話すことが好き。

星さんの第一印象が「人見知りしない」だったんですよ。一度ライブにお邪魔したときも、星さんのほうから私に話しかけてくれて。今までのお話を聞いていても、人が好きなのかなって思ったんです。

大好きですね。それで音楽やってるようなものなので。全然音楽辞められますよ。

もし辞めたとしたら、何をしますか?

そうだな……交渉する仕事とかかな。

やっぱり、人と話すんですね(笑)。人が好きだと意識したのはいつ頃なんですか?

大学生のときかな。ずっとスターバックスでバイトしてたんですよ。僕が働いていた当時、スターバックスには3つくらい店舗のコンセプトがあって。駅前みたいに「ここにはなきゃダメだ」っていう店と、需要があるから売り上げも見込める店と、のんびりとした郊外での地域に密着した店。その、地域密着タイプで僕は働いてたんですね。ほとんどのお客さんが常連さんだから、よく話すようになって。そのあと、病院に併設されたすごく忙しい店舗で働いてたんですけど、それがすごく嫌だったんです。

そこではお客さんとの会話がなかったんですか?

いや、あるっちゃあったんだけど、病院の中だったから、お店の雰囲気も含めドライだったんですよね。そのとき、人と話すのが好きだからこの仕事やってたんだなって気付いたんです。でも、特に意識するようになったのはバンド始めてからですね。WOZNIAK代表なので、外交しないといけないですから(笑)。

ちなみに、接客業以外では?

あとは飲食業ですね。ご飯を作るのも好きなので。特にラーメンが好きで、LITEの井澤くん(井澤惇)と一緒のラーメン屋でも働いてました。

もしかして、えるびすですか?

そうそう、井澤くんから誘われて。今はもう閉店しちゃったけど、2年くらいはいましたよ。この井澤くんが、自分の音楽人生でキーパーソンなんですよ。

どんなきっかけで知り合ったんですか?

もともとはただのファンだったんです。自分のバンドを始める前くらいからLITEのライブには行っていて、井澤くんとは地元が近いこともあってちょくちょく話すようになったんですよ。そのうちmixiでも連絡を取るようになって、一緒にラーメン食べに行ったり、遊ぶようになったりして。井澤くんはいろんな人を紹介してくれるんですよ。僕自身としても、「友達の友達は、友達になればいいじゃん!」ってスタンスだし、そこからできた繋がりは多いですね。

歳は井澤さんのほうが上ですよね。

4つか、5つ年上かな。

CONTRAST [インタビュー] WOZNIAK | 1人になっても、バンドを好きな気持ちは変わらない。

なのに、「くん」なんですね(笑)。

ジャニーズっぽいでしょ(笑)。さん付けしちゃうとあんまり仲良くなれない気がするんで、できる限りしないようにしてますね。

アングラ路線を進むと決めても、たくさんの人が迎えてくれた。

WOZNIAKが結成されたときのことを聞かせてもらえますか。

最初は2人編成だったんですよ。一緒にやってた荒井は、高校の軽音楽部の後輩で、そいつはすでに部活以外でバンドを組んでいて。でも自分は一緒にやり始めた人とそこまで進まなくて、まだ本格的なバンドを組めていなかったんですね。そんなとき、荒井と話したり、今聴いてる音楽のCDの貸し借りをしてるうちに、音楽の趣味が似てることがわかって。

貸し借りしていたのはどんなCDですか?

確か『AS MEIAS I』とかその中にあったなあ。音楽性的に一緒にやれそうだなと思ったし、ちょうど荒井のバンドで浪人が出て、そのバンドが活動できなくなったこともあって、僕からスタジオに誘ったんですよ。荒井はもともとベーシストだったし、僕はギターとドラムをやって。そのときちょうどループサンプラを買ったばかりで、Battlesみたいな繰り返すロックを聴いていた時期だったから、ギターをサンプリングしてからドラムを叩けばいいやって思って。そのうち荒井のシンセサイザーも入るようになりましたね。

2人でどんどん音を重ねていくスタイルだったんですね。

そう、リアルタイムサンプリング。有名どころだとDoshとか、宮内優里さんとか。僕、大学3年くらいに初めてバンドを組んで、それがWOZNIAKなんです。他の人に比べて遅く始めたから、初めてのライブをたくさんの友達が待っててくれて。結局、初舞台のNINE SPICEには僕の友達だけで50人くらい来てくれたんですよ。

すごすぎる(笑)。

まあ、最初だし、1回くらいは来てくれるじゃないですか。で、ライブハウス側から「お前らなんなの?なんでそんなに人来るの?」って言われて。当時はライブハウスの仕組みもわからなかったから、その言葉の意味もわからないわけですよ。「いや、普通に友達が来てくれただけなんで」って。ドカーンってギャラが入って。「こんなもらえんだ!?なにこのシステム!」みたいな(笑)。2人っていう構成にパンチがあったし、運も手伝ってくれて最初のライブは成功したんです。それからポストロック周辺のバカテクバンドが出る日に放り込まれるようになって。

バカテクってなんですか?

テクニックが凄まじいってことです。アングラで言うと京都のNuitoとか、海外だとTera Melosとか、その辺との対バンが多くなって。そういうバンドに比べると全然うまくないのに、最初のライブが成功したことでお客さんを呼ぶバンドだって認識されたんでしょうね。そんな中、残響レコードに目を付けられたんです。もう解散しちゃったけど、当時残響にはthe cabsってバンドがいて。地元が近いし、同じNINE SPICE出身だったから、共演したんです。それをたまたま残響の社長が観ていて。WOZNIAKに興味を持ってくれて、my spaceにメッセージが送られてきたんですよ。初めてのバンドなのに、4、5回のライブで声が掛かるなんて。「これ、売れちゃうぜ」って思いましたね(笑)。

でも、最終的に1stの『Effects and Nice』は自主で出してますよね。

残響レコードって、毎年「残響祭」っていうイベントをやってるんですよ。2013年の3月くらいに連絡がきて、「今年の9月にO-EASTで出てもらうから」って言われて。しかも、9mmと共演ですよ。夏にはリリースも予定してて、プリプロも月一でやっていくことになって。最初のうちはすごく嬉しかったんですけど、だんだんこれは自分たちの意志じゃないなって思い始めて。

CONTRAST [インタビュー] WOZNIAK | 1人になっても、バンドを好きな気持ちは変わらない。

周りに言われるがまま、というか。

そう、口出しされることも増えてきたから、あんまり気が乗らなくなってきたんです。正直、自分のやりたいことがアングラめだったから、残響とは方針が合わなくなってきちゃって。そんなとき、cinema staffとか、周りのバンドマンがいろいろ相談に乗ってくれたんですよ。結局、リリースを前に残響からは離れました。それからはアングラ路線まっしぐら。でも、その決断をしてもたくさんの人が迎えてくれた。そこから井澤くんとか、いろんな人と仲良くなったんですよ。井澤くんはこの間のTera Melos以外にも何度か海外バンドの来日ツアーにWOZNIAKを呼んでくれていて、そうやって人の繋がりがどんどん広がっていったんです。