CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] きっかけを与える存在に ―前編

きっかけを与える存在に ―前編

MINORxU(プロフィール)

MINORxU

プロフィール MINORxU
1978年東京都生まれ、多摩美術大学卒業。ハードコアバンドThere is a light that never goes outを題材にしたドキュメンタリームービーを同大学の卒業制作にて発表。その後はenvyのミュージックビデオを発表し、BREAKfASTの西海岸ツアーに撮影で同行ドキュメンタリームービーを発表し、2009年にリリースされたCOMEBACK MY DAUGHTERSのツアードキュメンタリー『KEEP THE FLAME/EXPerience TOUR FINAL』にて、本格的に映像作家としてのキャリアをスタートする。
LOSTAGE、Ropes、Gotch、MEANING、skillkills、Crypt City、Ken Yokoyamaらのミュージックビデオ制作と並行して、mouse on the keysのドキュメンタリームービー『irreversible』(2012年)、ZのライブDVD『2013年2月16日 渋谷O-EAST』(2014年)を発表。チャットモンチーのドキュメンタリームービー『鳴るほど』(2011年)、『ふたりじゃない』(2013年)は、自身初となる劇場公開作品となる。そして2013年11月には、横山健のドキュメンタリームービー『横山健 -疾風勁草編-』も劇場公開を果たす。同作のDVDが2014年9月24日にリリースされたばかり。

MINORxU 公式サイト

LOSTAGE、Ropesをはじめ、Zやmouse on the keysもそう。今挙げたCONTRASTに登場するミュージシャンたちの映像作品といえば、そのほとんどが映像作家MINORxU(ミノル)による仕事だ。

一般的に映像作品には、監督・ディレクション・撮影・編集などといった役割が存在するが、MINORxUの場合はその全て、あるいは複数を彼ひとりで担うことが多い。それはミュージックビデオだけでなく、長い月日をかけて取材対象を追い続けるドキュメンタリーにおいても同じだ。頭のてっぺんからつま先まで自身の視点で固めた作品に、MINORxUがどんなメッセージを込めているのか。ときに彼は僕と同じインタビュワーにもなる人物だけに、その本質に触れてみたい気持ちは強かった。

近年は後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)やチャットモンチー、そして2013年11月に劇場公開された横山健のドキュメンタリー映画「横山健 -疾風勁草編-」(2014年9月24日[水]DVDリリース)の監督として、MINORxUのことを知った人も多いかと思う。映像作家として注目を集める今、その生い立ちとキャリアを紹介していこう。

撮影協力:nostos books

Text by Shota Kato Photo by Takuya Nagamine

従兄弟からの影響

MINORxUさんとはプライベートで交流がありますけど、このインタビューがあるから核心の部分には触れられなくて、ずっと消化不良だったんです(笑)。

ミノル

そうだね、やっと話せる(笑)。

生まれは東京でしたよね、たしか地元が世田谷で。

ミノル

区内の別の場所で生まれ育って、途中祖父母の家と叔父叔母の家があったところの隣に俺の家が引越してきたという感じで、小学校1年からそこが地元だね。

今でこそ、ミュージックビデオやドキュメンタリー映像の監督と編集・ディレクションを生業にしていますけど、映像関係に明るい家柄だったんですか。

ミノル

いや、そんなことはなくて。俺は従兄弟の影響をすごく受けているんだよね。従兄弟が二人いて、俺と歳が近い4個上の方からは特に。わかりやすい例でいうと、最初に買ったCDがTHE BLUE HEARTSの『TRAIN-TRAIN』で、それも従兄弟の影響だった。それが小学校3,4年生だったかな。CDショップに親と行って、長渕剛とブルーハーツで迷ったの。今思えば、ブルーハーツでよかったなと思う(笑)。

CONTRAST [インタビュー] MINORxU | きっかけを与える存在に ―前編―

長渕だったら、今ここにいないかもしれない(笑)。

ミノル

従兄弟は俺の家の隣に住んでいたものだから、行き来し易かったんだよね。彼が持っているCDとか本をチラチラと眺めては、タイトルだけ覚えて新宿とかに買いに行って。『イギリスのパンク/ニューウェーブ史』っていう『DOLL』の編集長の森脇美貴夫氏が書いていた本を見つけたのがきっかけで、SEX PISTOLSとかTHE CLASHとかTHE DAMNEDとか、いわゆるUKパンクをブルーハーツのルーツという感じに掘り下げていって。THE JAMとかBUZZCOCKSとかが特に好きだったかな。ウチの従兄弟は俺がそういう音楽が好きだということを知って、いろいろと教えてくれたりしたんだよね。それからはニューウェーブにハマっていって、中学2,3年の頃はJOY DIVISIONとかBUZZCOCKSから派生したMAGAZINEとか、パンク以降の音楽を聴いていて。周りにはそういうのを聴いている友達が一切いなかったけどね。

音楽的には従兄弟の影響でマセていた感じがしますね。

ミノル

そうだね。同級生で共感してくれるやつがいて、そいつは後にバンドをやるんだけど、eastern youthの『極東最前線3』に収録されている赤い疑惑ってわかる?

もちろん。

ミノル

タケシっていう、バンドではクラッチって名乗っているけど、あいつが中学の友達なんだよね。俺は「お前、それ好きなの?」と思いながらもパンク/ニューウェーブを教えていたけれども(笑)。俺、中3の頃はモッズカルチャーが好きだったんだよ。それも従兄弟の影響で、SMALL FACESとかTHE WHOとかを背伸びして聴いていて、格好もモッズコートにホワイトジーンズを合わせたりして。

自分がイメージしているものの方が絶対にかっこいいという自信

本当に従兄弟からの影響が大きかったんですね。

ミノル

うん、本当に大きかったと思う。

この流れで高校の話を聞かせてもらえますか。

ミノル

高校はいわゆる早慶の滑り止めになるような学校に進学したんだけど、自分で言うのもアレだけど、出来がいいグループの落ちこぼれみたいな感じだったんだよね。俺は小学校から高校1年までサッカーを続けていたの。本当にサッカー少年と言ってもいいくらいに。高校卒業後は多摩美の映像科に進学することになるんだけど、絵とかは好きでも美術に関わるようなつもりはなくて、俺が高1のときに従兄弟がムサビ(武蔵美術大学)の映像科に入学して、そこではじめて美大を認識したのかな。それまではサッカー一本だと思っていて、小学校の頃は区の選抜選手になるセンターフォワードとかウイングとか、そういうタイプだったんだよ。

CONTRAST [インタビュー] MINORxU | きっかけを与える存在に ―前編―

マジすか。今のMINORxUさんからサッカー少年の面影を思い浮かべるのは難しいなぁ。なんでサッカーを辞めてしまったんですか。

ミノル

足首を怪我してしまったんだよね。復帰までに間が空いて、なんとなくフェードアウトしてしまって。それまでサッカーが全てだったのに、高1と高2くらいからは音楽とか映画にのめり込むようになって。映画を観るのは当時から好きだったけど、それでも音楽の方が好きだったのかな。

映画を意識したのはどんな作品の影響ですか。

ミノル

レオス・カラックスの『汚れた血』が衝撃的すぎて、たしか高1のときに従兄弟の影響で買っていた雑誌にジュリー・デルピーっていう女優さんが出ていて、その人がすごく可愛いかったの。「彼女が出ている映画はなんだろう?」という興味から『汚れた血』を観たら、もうすごくて。今でも何度も観ているくらい影響受けてる。今になって「『汚れた血』が好き、レオス・カラックス好き」という人が周りにも現れるようにになったけど、それこそ当時はそんな人全然いなかったから「それって本当?」って思ってしまう(笑)。

じゃあ、音楽はモッズからどんな形に変化していくんですか。

ミノル

従兄弟が高校の入学祝いにモッズの店を教えてくれたりして、ギターを買うのよ。俺はポール・ウェラーが好きだったからリッケンバッカーを。まあ、3万円くらいのニセモノだったけど(笑)。THE POPGROUPとかJAMES CHANCEとかTHE CONTORTIONSとかも好きで、ちょっと暗めで極端なノーウェーブを聴いていた辺りもマセていたかもしれないなぁ。当時は音楽や映画のレビュー本をとにかく読み漁っていたんだよね。レビュー本ってどんな作品なのかを喚起させるでしょう? 映画でも作品を観ていないのにいろいろ知った気になれるし、実際に観て全然面白くなかったら、「俺だったら、もっとこうする」とか、そういった発想に至るからよかったなと思っていて。音楽も同じで、レビュー本を読んで、自分がイメージしていた音楽と違うと、自分がイメージしているものの方が絶対にかっこいいという自信があって、それは今の仕事に活きているかもしれないな。

CONTRAST [インタビュー] MINORxU | きっかけを与える存在に ―前編―

学生の頃は特にお金がないから、本を読むことで知ったつもりになれますよね。

ミノル

そうそう。あとは、学校の帰りに新宿とかで¥100レコードのエサ箱を漁って、Talking HeadsとかJim FoetusとかSWANSを、飯代を削って買っていたよね。名前は沢山知っていても、買えるレコードはそれが精一杯で。とにかく調べるということが好きだった。サッカーも選手を色々と調べたり、ワールドカップの時期には参加国のデータやスコアをノートに書いて、スパイクも皆が履いていないものにしようとして、最終的にはPUMAのマークを剥ぎとって履くことが洒落ていると思っていたから(笑)。

だはは。サッカーをやっていた当時って目立ちたがり屋だったんですか。

ミノル

そうだね。学級委員も生徒会もやっていたし、かなり活発な生徒だったね。

人とは違った存在でありたいような気持ちは強かった?

ミノル

めちゃくちゃ強かった。俺は一人っ子だったから、超自意識過剰でワガママだったと思う。小中の頃は特に生意気だったのは従兄弟にも言われることで、高校の最初の頃まではそれが残っていたんじゃないかな。

変わった存在だったFRUITYというバンド

高3まで美大に進学する選択肢はなかったと言っていましたよね。

ミノル

単純に勉強をしなくなって、落ちこぼれてしまったんだよ。周りの皆はすごく勉強していたけれども、俺の成績は学年で下から数えた方が早くて。それで美術は勉強しなくてもいいという単純な発想で、美術予備校に通うようになるの。美大に進学しようとしていたのは、俺ともう一人いたかどうかで、六大学に進学するのが当たり前の高校だった。従兄弟が美大に通っていたこと、映画が好きだったこと、それから美大に映像科があることを知って、デザインには興味はないけど映像なら面白そうだなと思ったのがきっかけだね。

美術予備校で趣味の話が合う友達ができたりしたんじゃないですか。それこそカラックスの話で盛り上がれるような。

ミノル

いや、それでもカラックスが好きという人はいなかったんだよね。音楽も詳しくなくて、「あぁ、意外とそんなもんなんだ」と思っていた。相当知識と探究心があるその従兄弟を目標にしていたから、自分の基準値が周りの同級生よりも高かったんだよ。また従兄弟の話になってしまうけれども、彼は高校からバンドをやっていて、大学に進んでから新しくバンドを始めるんだけど、そのバンドがいい感じになっているという話は聞いていたの。レコードを出すかもしれないということで、今度ライブを観に行ってみようと、赤い疑惑のクラッチとヴォーカルのゲンちゃん(アクセル)を誘ったんだよね。三人で観に行ったウチの従兄弟のライブの対バンがLIFE BALLで。話の流れでこのタイミングになってしまったけど、ウチの従兄弟は大倉くんといって、FRUITYというバンドのメンバーだったんだよ。

え、そうなんだ!

ミノル

そうなんだよね。FRUITY とLIFE BALLの対バンがきっかけで、俺は日本のインディーズのパンクシーンに傾倒していくっていう。

大倉さんって12XUっていうセレクトショップを代々木上原でやっていますよね。

ミノル

そうそう。たしか1996年だったかな。後にAIR JAMとして盛り上がっていくハイスタ(Hi-STANDARD)のひとつ下の世代の人たち、HUSKING BEEとかRUDE BONES とかがFRUITYの対バン相手で、FRUITYはLESS THAN TVからレコードを出すんだけど、俺はどちらかというとUGMANとかGOD’S GUTSとかVOLUME DEALERSとかにガツンときて、そこから掘り下げてUSハードコアとかを聴くようになったんだよね。

FRUITYはオーバーグラウンドとアンダーグランウド、どちらも行き来できるバンドだったと聞いていて。

ミノル

そうだね。FRUITYは変わった存在で、アンダーグラウンドなところにコミットしていれば、AIR JAMにも通じるようなバンドとも対バンしているし、どっちにも評価されるようなバンドだった。極端な話、FRUITYのライブに行けば、当時のパンクシーンのバンドを全部観れるような部分があったの。レスザンとかにコミットしていれば、ギターウルフとかガレージっぽいバンドとも対バンしていて、チッタ(川崎クラブチッタ)でSUPER STUPIDとも対バンしていたんだよね。それでも、当時の自分はそういうところにいたけど、どこかしっくりこない感じはずっとあって。

CONTRAST [インタビュー] MINORxU | きっかけを与える存在に ―前編―

しっくりこないというと?

ミノル

FRUITYは好きだけど、メロコアの陽気な感じは苦手だったんだよね。割とポリティカルな音楽は好きだったけど、メッセージの薄いものは聴こうとしなかったの。HUSKING BEEは広島のことを歌った「8.6」という曲があって好きだったけど、ほとんどの日本のバンドは精神性が極端というか。歌っている内容が超陽気に聴こえてしまって、それでうーんと思ってしまって。だから、横山健さんのドキュメンタリー映画を撮ったけど、当時はハイスタにあまりコミットせずに過ごしていて。

メッセージ性は、パンクが音楽の入口になっているからこそ大事だったんでしょうね。

ミノル

そう。恋愛のことを歌っていてパンクと呼んでいても、「ん?」という感じだった。

ライブハウスに出入りするようになると、人との出会いが多くなりますよね。

ミノル

いや、俺は高3で一番若かったから、バンドマンが目の前に居ても、ずっと憧れているだけで話せなかったんだよね。彼らから精神性の影響をすごく受けていても、それは本人たちから聞いたわけでなく、雑誌のインタビュー記事から読んだものだから、コミットするところまではいかなかった。それでFRUITYのライブに行くようになって、ジュンくん(サイトウジュン / YOUR SONG IS GOOD、キーボード)に大倉くんの従兄弟だと認識されるようになったけど、その立ち位置で俺独自の友達はいなかったんだよね。

CONTRAST [インタビュー] MINORxU | きっかけを与える存在に ―前編―