CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] 僕らが旅する理由

僕らが旅する理由

古川太一(プロフィール)

古川太一

プロフィール 古川太一
ドラマーとして所属していたバンド、riddim saunterの解散後、メンバーだった佐藤寛とピアノとギターによるデュオ、KONCOSを結成。2012年10月に1stアルバム『ピアノフォルテ』をリリース。同年11月より全国47都道府県48箇所にも及ぶツアー、「旅するコンコス~みんなのまちとぼくらのおんがく~」を敢行した。
2013年7月には、JR九州日南線の観光特急「海幸山幸」のために、オリジナルソング「旅する海幸山幸」を提供。2014年3月には2ndアルバム『街十色』をリリース。現在は「旅するコンコス~まちといろ 100のいろ~」と題した日本100カ所を巡るツアーに繰り出し、旅を続けている。

KONCOS 公式サイト
古川太一 Tumblr

編集者という職業柄、「いい店を知らないか?」と聞かれることが多い。せっかく頼ってくれたのだから、その人にいいひとときを過ごしてもらいたい。自分が知る限りの素敵なモノコトは惜しみなく紹介する。我ながら、僕はお節介なやつだと思う。

古川太一は、全国のイチ押しを自分の中に持っている人だ。彼のインスタグラムやブログには、自身が出合ったいいモノコトが山ほど記録されている。惜しくも解散してしまったriddim saunterの後、太一はメンバーだった佐藤寛と、ピアノとギターによるデュオKONCOSを結成した。地元・帯広をテーマにした1stアルバム『ピアノフォルテ』をリリースしていく中、二人が挑戦したのは47都道府県ツアー。その土地を訪れて感じたこと、出会った人たちとの交流から「もっと違った形で日本を旅したい」という好奇心が芽生えた。そこから辿り着いたのが、47都道府県ツアーを超える日本100ヶ所ツアーだった。

2014年4月に高崎からスタートした日本100ヶ所を巡る旅は現在、49本目を終えたばかり。これから読んでいただく太一のインタビューは今年3月に松陰神社商店街で収録されたものだが、このときの縁からnostos booksでのライブが実現した。ツアーがほぼ折り返し地点に差し掛かったところで、KONCOS、そして彼が何のために旅を続けるのか。その生き様を紹介させてほしい。

撮影協力:nostos books

Text by Shota Kato Photo by Makoto Tanaka

渋谷で美味い飯屋を知らない自分が嫌だった。

今日、太一くんには自転車で松陰神社まで来てもらいましたけど、商店街は好きですか。

太一

いいですよね。今年で32歳になるんですけど、30歳前後から好きになってきたっていう感じですね。

CONTRAST [インタビュー] 古川太一 | 僕らが旅する理由

KONCOSは「旅するコンコス~まちといろ 100のいろ~」と題して、日本100ヶ所を巡るライブツアーの最中ですけど、一つ前のツアーでは47都道府県を制覇しましたよね。商店街が好きみたいな街への興味は、KONCOSの活動の中で変わってきたという感じですか。それともRiddim Saunter(以下、リディム)時代から?

太一

根本的な部分はリディムのときと変わらないですけど、お金の使い方をすごく考えるようになったのは大きいかもしれないですね(笑)。一食するにも無駄なお金を落とさないというか。店選びから慎重に、「まあ、いいや」を無くすみたいな。昔は何かと「カップラーメンか牛丼でいいや」でしたからね。今も昔もお酒が好きなことに変わりはないんですけど、安くて良い店はいっぱいあるのに、どこにでもあるチェーン店の居酒屋で飲むことが訳わからなくなってきて(笑)。

あぁ、わかります(笑)。いろいろと試してきたからこそ、今はいいお金の落とし方ができるようになったのかもしれない。

太一

そうそう。日々の生活がツアーみたいなところがあるんじゃないかと思うようになって、それで深く広く調べるようになりましたね。

CONTRAST [インタビュー] 古川太一 | 僕らが旅する理由

CONTRAST [インタビュー] 古川太一 | 僕らが旅する理由

CONTRAST [インタビュー] 古川太一 | 僕らが旅する理由

日常での散策が旅に広がっていくような感じがありますね。

太一

年々と楽しくなってきて。きっかけは渋谷で美味い飯屋を知らない自分が嫌だったんですよね。あるとき、「あれ、渋谷でどこに行っているんだっけ?」みたいになったんですよ。居酒屋に行くなら場所を変えて、どんな街にも、そこに根付いた良い店があると言えるようになりたくて。それで、渋谷のオルガンバーの店長に教えてもらったんですよ。

渋谷だと、どこを開拓していったんですか。

太一

まずは「富士屋本店」に連れていってもらいました。あとは「魚がし 福ちゃん」とか「細雪(ささめゆき)」とか。「細雪」は衝撃で、井の頭線のマークシティ側の改札があるじゃないですか。そのすぐ隣にある居酒屋で、何百回も通っている場所なのに見えてなかったんですよね。

大型店よりも、こじんまりとした個人店を見つけようになったのは僕も同じで。

太一

いいですよね。そういったお店を探し出すと本当に美味しいし、発見があるし、勉強になるし、そして安いし、やめられません。やっぱり、紹介する居酒屋が不味いウーロンハイを出す店だったら嫌じゃないですか。若い頃はとにかくレコードを買って、その日暮らしができればいいやみたいな感じでしたから。

CONTRAST [インタビュー] 古川太一 | 僕らが旅する理由

独りでも飲みに繰り出したりするんですか。

太一

独り飲みもするようになりましたね。LITTLEBIGっていうブランドをやっているガリアーノという友達に、「太一くん、これ好きですよ」と言われてもらった本があるんですけど、そこには「男たるもの、独りで居酒屋に行くべし」みたいなことが書いてあって。なるほどと思って、そういうことを一つずつ実行していくうちに、独りで居酒屋にいる時間の大切さに気が付いて、静かなに過ごせるんですよ。それで、「あぁ、こういうことなのかもしれないな」と思って。僕は今までライブの打ち上げとかで、大人数でしか居酒屋に行ったことがなかったので、とても新鮮な考え方でした。オルガンバーの大仏とLITTLEBIGのガリアーノ、クラブとファッションの2人に教わったことは大きいですね。

何かひとつ、武器を持たないとマズい。

いつからレコードを漁るようなヴァイナル好きだったんですか。

太一

中学で帯広に転校してからですね。僕、もともとの生まれは福島なんですよ。郡山に中1まで住んでいて、転校してからヒップホップが好きになって、それ以来ずっとレコードを買っていますね。

ヒップホップが好きになったのは何が大きかったんですか。先輩の影響とか?

太一

いや、転校して誰もいなくなったからなんですよ。受験勉強のときに聴いていたラジオの影響ですね。北海道のFMノースウェーブっていうラジオ局があるんですけど、DJセイジさんっていう人が夜8時から11時まで、毎週月~金で番組をやっていたんですよ。すごくないですか?北海道イチのラジオ局が、僕らが受験勉強をしている夜の時間帯に、リアルタイムでヒップホップをかけ続けるっていう。金曜日はフリースタイルの日でTHA BLUE HERBより前のBOSS THE MCが出ていたんですよ。

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うわ、それはアツいですね。

太一

セイジさんはレコードでリアルタイムでDJプレイしていて、ひたすら2枚使いをしていたそれが面白くてずっとテープに録っていましたね。スクラッチやラップは、聴いていてとてもフレッシュだし、「なんだ、これ?めっちゃ面白いな」って。当時は96,97年だったから、KRS-Oneの「Step Into A World」が一番流行っているときとかでしたね。L The Head TouchaのToo ComplexがFMノースウェーブのチャートの1位で、どうしても欲しくて札幌のCISCOまで買いに行ったり。ちょうどThe Notorious B.I.Gと2PACが殺されたときだったりして、東と西の文化の違いとかも含めて、色々と勉強していました。

それ以前は特に音楽を聴いていなかったんですか。

太一

それまで僕、音楽にまったく興味がなかったんですよ。ヒップホップも、ロックも、なにも知らなくて。洋服とかも、それまで母ちゃんに買ってもらっていましたからね、パンツまで(笑)。独りになったことで、何かひとつ自分を持たないとマズいと思って、「FRONT」や「REMIX」とかでレコードやアーティストの情報を仕入れて、あとは「FINE」の宇田川特集とかを読んだりもしました。ヒップホップがルーツでよかったなと思いますね。そのおかげで、今となっては友達と話が合うことが多くて。

CONTRAST [インタビュー] 古川太一 | 僕らが旅する理由

太一くんを見ていて思うのは、ヒップホップがルーツにありながら、ジャンルを問わず新譜も旧譜もしっかりと聴いていますよね。影響を受けてきたものは自分の中で生きつつ、更新されているというか。

太一

リディムの頃は、最初はThe Avalanches、Phoenixの1stアルバムとか、The RaptureやLCD SoundsystemとかのDFAのアーティストとか、僕ら世代のみんながクラシックとしているものに大きな影響を受けました。相変わらず今も新譜がめちゃくちゃ面白くて、よく買っています。特にRhyeやSamphaやinc.だったりする、いわゆるインディーR&Bと言われるシーンとか、例えば、Blood Orangeのデヴ・ハインズは昔Test Iciclesをやっていたりとか。それが2007年くらいのエレクトロクラッシュ以降のめちゃくちゃ盛り上がっていた時代で。面白いのは、Test Iciclesをやめたら、いきなりアコギに持ち替えてLightspeed Championをやり始めていて。気付いたらBlood Orangeになっていたっていう。今度はMVで白いピアノを弾いて踊っているのが最高にかっこよくて。KONCOSとしての活動はいろんなところに向かっていますけど、音楽的な事で言うと、そのような海外の流れに影響を受けている部分が大きいです。

よく消化不良を起こさないなぁと。不思議なのは、都内でDJをすることとKONCOSの日本100ヶ所を回るような活動が並列にあることなんです。一見すると、まったく性質が違うように思えるから。

太一

たしかにそうですね。でも、僕にとってクラブはすごく重要な場所なんです。クラブでみんなとパーティーすることが生きていく楽しみだったり、自分の音楽的なルーツの場所だったりするので。「いい居酒屋見つけたから、今度行ってみない?」とか「最近いいレコ屋の情報ないの?」とかを、みんなで話しながらテキーラで乾杯すると、自然と次やることが見えてきたり。記憶を無くす場合もありますけど(笑)。

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