CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] わたしは青春だけで出来ている

わたしは青春だけで出来ている

アチコ(プロフィール)

アチコ

プロフィール アチコ
シンガー。戸高賢史(ギター、ART-SCHOOL)とのアブストラクトなユニット、Ropesをメインにon button downのヴォーカリストとしても活動中。また(((さらうんど)))、LOSTAGEなど、様々なバンドのコーラスにも参加。2013年9月にRopesの1stミニアルバム『usurebi』をリリース。最新作は4月19日(土)にリリースされたRopesとLOSTAGEのスプリット7インチ『こどもたち / パノラマ』。

Ropes ウェブサイト

CONTRASTのインタビューラインナップからピープルツリー的に辿っていくと、ほとんどのミュージシャンから行き着く女性シンガーがいる。その人物とはアチコだ。

僕がアチコを知ったのは、彼女がART-SCHOOLとdownyのメンバーと活動していたKARENというバンドだった。KARENが解散してからはLOSTAGEのコーラスに参加していることを知り、LOSTAGE五味岳久が描く「五味アイコン」界隈のミュージシャンとの間にネットワークがあることを知った。ところが、13人編成の大所帯バンドWUJA BIN BINに参加している彼女は僕にとって不思議でならなかった。コーラスといっても、まるで声をおもちゃのように使う真っ当なコーラスには当てはまらない立ち位置。バンドメンバーからしても、今まで僕が知り得る彼女の文脈から外れている面々だった。その一方で、彼女がART-SCHOOLの戸高賢史とともに始めたRopesでは、ヴォーカルとギターのシンプルな編成で、歌心と温もりに溢れた音楽を奏でている。さらに、シティポップスユニット(((さらうんど)))でのコーラス参加を含めると、一体、彼女の出所が何処であって、どんな変遷を経てきたのか。その興味は増すばかりだった。

2014年4月19日(土)のRECORD STORE DAYにあわせて、RopesはLOSTAGE五味岳久・拓人兄弟との7インチカバースプリット盤『パノラマ / こどもたち』をリリースしたばかり。このインタビューが収録されたのは昨年だが、インタビュー当日、アチコの小さな肩に掛かっていたトートバックには、レコードがぎっしりと入っていた。その色とりどりのジャケットと黒い円盤たちが、彼女の背景を紐解く鍵だったのだ。

撮影協力:nostos books

Text by Shota Kato Photo by アカセユキ(http://akaseyuki.tumblr.com/

「何がやりたい。何が好き」ということ。

アチコさんとは一度、膝を向き合わせて話してみたかったんです。僕らのインタビューラインナップからピープルツリー的に行き着く人なんだけど、「一体、何者なんだろう?」と思うところもあって。

アチコ

わかります(笑)。

じゃあ、インタビューを始めますね。アチコさんは、歌と楽器はどちらが先なんですか。

アチコ

元々、私は音楽をやるつもりがまったく無かったんです。東京に出てきた理由も音楽をやるためじゃなくて、ほんとに普通の女の子として出てきていて。食器とか雑貨とかがすごく好きだったから、漠然とお店屋さんになりたかった。小さいときの「花屋さんになりたい」とか「電車やバスの運転手さんになりたい」とか、そういう感覚と同じっていうか。

意識的に音楽を聴くようになったきっかけって何だったんですか。

アチコ

それは友達の影響がすごく大きくて。女の子も男の子も、当時付き合っていた彼氏とか(笑)。高校になってからですかね。私の出身地の水戸にライトハウスっていうライブハウスがあるんですけど、昔は今みたいに綺麗じゃなくて地下っぽくて真っ暗だった。壁からクッションがはみ出ていて、しかもすごく狭かったんですよね。私の友達はそこで各々オールナイトのイベントをやっていて。

高校生がオールナイトのイベントを?

アチコ

そうそう(笑)。ちょっとだけ遊びに行ったりしましたけどね。私、高校の生徒会だったんです、3年間。

(笑)生徒会は意外な一面ですね。

アチコ

「一番何もやらなくてもいい係は何かなぁ」と考えたら、クラスの副代表だったんですよ。だけど、クラスの代表と副代表は必ず生徒会に入らなきゃいけないっていう仕組みになっていて、それで生徒会に入ってしまったんですね。でも、入ってしまったら、生徒会室はすごく自由な空間で、レコードプレーヤーとかが置いてあって。先輩が音楽好きだったから(笑)。今でも憶えているのは、生徒会室に初めて行ったときにかかっていたのがロバート・ジョンソンなんです。今日持って来たんだけど、今でもすごく好きな当時買ったアルバム(『KING OF DELTA BLUES SINGER』)。これが放課後の生徒会室で掛かっていたんですよね。

CONTRAST [インタビュー] アチコ | わたしは青春だけで出来ている―

お洒落な生徒会だったんですね。

アチコ

水戸の友達はモッズが多くて、一緒に生徒会をやっていた友達もモッズの子で、ベスパの後ろに乗せてもらったり、夜遊んだりもしましたね(笑)。

生徒会なのに風紀が乱れているというか(笑)。

アチコ

そうなんですよね(笑)。ロバート・ジョンソンを学校で聴いたときの衝撃は大事な思い出で、ジャケットも乾いた音質も「すごい。こんなのがあるんだ」って思った。本当にジャケットのこういう感じに録っているんですよね。

このレコーディング風景のジャケはRopesのイメージと重なりますね。

アチコ

まったく関係ないようで関係していて。今の私の「何がやりたい。何が好き」ということの入口になっているかもしれませんね。

歌を歌いたいという気持ちも、ロバート・ジョンソンから受けたものですか。

アチコ

いえ、歌を歌いたいという気持ちも、東京に出てきた最初の頃は無かったんですよね。東京に出てきて、代官山にあった昭和40年代の食器、家具、雑貨とかを売っているお店で働き始めたんです。夜は「Whisky A Go Go」とかに遊びに行ったり、渋谷のInkstickでやっていた「CLUB SKA」や「Free Soul Underground」とかにも遊びに行ったりしてましたね。ライブハウスにライブを観に行くことはあまり無かった。

自分が好きなお店で働いて、休みの日はドゥーワップ。なんて素敵!

アチコさんがレコードと隣り合わせな人だったのは意外でした。

アチコ

私が高校生の頃は丁度アナログブームで、再発も沢山出たし、周りの子も結構レコード屋さんに行ってレコードを買っていた気がする。私が好きだったジャズ、リズム&ブルース、ソウル、スカとかは年代の古い音楽じゃないですか。だから、先輩に教えてもらったお店に行くと、レコードが沢山あって楽しかったですね。

これまでの話からすると、歌うのはまだまだ先のことになりそうですね。

アチコ

そうですね。よく遊びに行っていた新宿のROCKWESTっていうクラブがあって。そこで友達がやっていたイベントに通っているうちに知り合ったのが、ティファニーズっていうドゥーワップグループだったんですね。ティファニーズはダンスを揃えて衣装とお化粧もばっちり決まっていて、往年の名曲のカバーを沢山歌っていて、すごく素敵だった。そこに通っていた頃、自分に新しい彼ができるんですけど(笑)。

きましたね、恋バナ(笑)。

アチコ

その人はムサビ(武蔵野美術大学)の学生だったんですよね。それで、よくムサビに行くようになったら、なんとティファニーズがそこにいたんですよ(笑)。これはすごい偶然だなと思って、そうこうしている間に、「メンバーを探しているんだけど、やってみない?」と誘われて。「自分が好きな年代のものがあるお店で働いて、お休みの日はドゥーワップ。なんて素敵!」みたいな軽い気持ちで、ティファニーズに入っちゃったんです(笑)。そしたら、「来月レコーディングだから」と言われて、それが、私がCDを出す最初のきっかけなんですよね。そのリリースをしたのがBENTEN LABEL(ロリータ18 号やnoodlesが所属していたインディーズレーベル)だった。でも、ティファニーズに入って一週間後くらいには「もう辞めようかな」って正直思いましたね。

CONTRAST [インタビュー] アチコ | わたしは青春だけで出来ている―

それはどうしてですか。

アチコ

私は小学校のときにブラスバンドでトランペットをやっていて。だから、周りに引っ張られずにある程度ピッチも取れてハモるということがすぐにできたんです。歌もそんなに嫌いではなかったし、レパートリーが増えていくことがすごく楽しかったんだけど、「これは仕事しながらだときついなぁ」と思って、学校から帰って来た彼氏に「辞めようかな」って相談したんですね。そしたら彼は「でも、お前は辞めてもまたやりたくなるよ」みたいなことを何故か言ったんですよね。今思えば、私のことをそんなによく分かってないでしょ!(笑)って思うけど。でも、なんとなくその彼の言ったことが印象に残って、「そうかもなー」みたいな感じで続けてしまったんです。まさか、そこからこんなに歌が好きになってしまうとは思いませんでしたね(笑)。

大きい音への憧れ。

僕がアチコさんを知ったのはKARENがきっかけなんですね。それからon button down、(((さらうんど)))のサポートとかWUJA BIN BINに参加していることを知って。LOSTAGEのサポートとかも横一列に並べてみたら、あまりにも振り幅があることに気付いたんです。

アチコ

まずは、なぜ歌というかドゥーワップに夢中になっちゃったかというと、練習でみんなで歌ってハーモニーを作った瞬間、予想以上の高揚感があって。働きながらが大変になってくると、とうとうお店まで辞めて、今度は飲食とかで働き始めて、食事は全部そこで済ませるようになった。持っているものはBENTENのTシャツとジーパンみたいな(笑)。あとはBENTENのツアーに連れていってもらうっていう生活をずっとしていて。ティファニーズは途中でキャンディーアイスラッガーに名前が変わって、CDを出す以外にも色んな経験をさせてもらって。そんな中で「もっと音楽をやりたいな。楽しいやり方があるんじゃないかな」って、自分の中にメンバーの人たちとの温度差が生まれてきたんです。ゆくゆくは解散することになるんだけど、その直前くらいに、キャンディーアイスラッガーは空気公団のサポートをやったことがあるんですね。

多分、空気公団の場合はキャンディーアイスラッガーと異なるテイストのコーラスですよね。

アチコ

何のご縁かは忘れちゃったんですけど、空気公団の数少ないライブのうち2回をコーラスとして参加したことがあって。多分、それが声以外の楽器と一緒にちゃんとライブをした最初だった気がする。そのときの空気公団のドラムがオータくん(オータコージ、L.E.D. / 曽我部恵一BAND)だったんですよね。まずそこでオータくんと知り合うんですよ。その頃には、もうひとつ面白いことがあって。キャンディーアイスラッガーをレコ発に呼んでくれたのが、塩川くん(塩川剛志、L.E.D. / BALLOONS)とマシータ(ex. BEAT CRUSADERS)とモトキチ(佐藤元彦、L.E.D. / Jackson Vibe)がやっていたバンドで。

CONTRAST [インタビュー] アチコ | わたしは青春だけで出来ている―

なるほど、少しずつ見えてきた。

アチコ

キャンディーアイスラッガーが色んなロックバンドとイベントに出るようになって、私は大きい音が大好きになって。彼らが練習しているスタジオに遊びに行かせてもらって、端っこで膝を抱えて見ているっていうことがあったんですよね。私はモトキチのベースが好きだった。そういったことが全部繋がって、「もし自分がバンドをやることがあったら、絶対オータくんにドラムを叩いてもらって、モトキチにベースを弾いてもらおう」ってなんとなく頭の中で思い描いていて。空気公団のサポートの後にon button downを始めることになったとき、「一緒にやってくれない?」って誘った最初のレコーディングメンバーには、オータくんとモトキチがいてくれたんです。

そんな背景があったんですね。

アチコ

私がon button downを始めたのは、on button downのギターのハジメちゃん(小林ハジメ、on button down / BP.)がAxSxEくん(NATSUMEN)とやっているスペースカンフーマンっていうバンドがあって、友達がBENTENでやっていたバンドとの対バンを観に行って知り合ったのがきっかけなんですよ。スペースカンフーマンは、お腹がよじれるほど面白いバンド!キャンディーアイスラッガーがBOATとかと出たLOFTのライブの打ち上げにハジメちゃんも来ていたんです。同じ席に座ってた人たちがみんなメガネでボタンダウンシャツを着ていて、「ここにいる奴で“ボタンダウン”ってバンドできるな」って冗談で話していて(笑)。ハジメちゃんがメンバーだったTEARDUCTのライブを観に行って、私はそういう音楽を聴いてなかったけど、リフが作るハーモニーが美しくて、すごくカッコいいなって思ったんです。その後、BP.のレコードとかも聴かせてもらって。「前に話してた“ボタンダウン”ってバンド、やってみない?(笑)」ってハジメちゃんに言って、on button downをやることになったんです。