CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] 受け継いだ命、故の反抗

受け継いだ命、故の反抗

MAKOTO (SAND)(プロフィール)

MAKOTO (SAND)

プロフィール MAKOTO (SAND)
【SAND】
MADBALLやSICK OF IT ALLなどに代表される"ミッドテンポでヘヴィーなビート"や"メタリックなリフ"といった特徴をもつニューヨークハードコアに衝撃を受け、1999年に結成。2004年ごろから活動が活発になり、次第に国内だけではなく、アメリカを中心とした海外ツアーも行うようになる。そして、2010年にはマンハッタンで開催されたニューヨークハードコアの祭典「B'N'B BOWL」、2011年にはアメリカ東海岸の大規模フェス「EAST COAST TSUNAMI FESTIVAL」への出演を果たす。その一方で、MADBALLやNEXT STEP UPといった海外の大物ハードコアバンドを日本へ積極的に招聘するなど、シーンの活性化に貢献している。そんな彼らの活動の象徴となるのが、2002年から続く西日本最大のインディペンデントフェスティバル「FREESTYLE OUTRO'」の主催。国内外のハードコア / パンクバンドやヒップホップアーティストが多数出演し、2011年開催の「FREESTYLE OUTRO' 8」では、なんと4000人超の動員を記録した。 http://www.sandjapan.com/

大阪ハードコアシーンの立役者、SAND。CDのブックレットには罵詈雑言が並び、MVは悪辣を極め、ライブのフロアは鬼気迫るオーディエンスに溢れる。先頃発売された3rdアルバム『Spit on authority』も例に漏れず、攻撃性に満ちている。

そのSANDを牽引するVocalであり、afterbaseをはじめとした様々な事業を経営、さらには巨大イベントも手がけるMAKOTO氏は、ストリートに通じる者なら誰もが知る、まさに大阪の顔役。彼の原動力は何だ。反骨心をここまで露わにするのは何故。それは、我々の命の重さ故。重さを知っているからこそ、言葉に強い意思が宿る。

生き方を悔い改めろとは言わない。しかし、自分たちが生きている意味、そして意義を考えるきっかけになれば嬉しい。
※インタビューではMAKOTO氏を「MKT」と表記致します。

Text by WATACO Photo by Nozomu Toyoshima

好きなものを取り上げられた少年

MAKOTOさんの出身はどちらなんでしょう?

MKT

岡山です。

少年期、青年期は、どんな子でしたか?

MKT

普通の、馬鹿ですね(笑)。

ヤンチャな感じでしょうか。

MKT

どうですかね(笑)。んー。

ガキ大将的な感じとか。

MKT

いや、そうではなかったんですけど、とにかく、普通かヤンキーしか選択肢がないような田舎で。

世代的にも普通かヤンキーか根暗かっていう感じですよね。

MKT

そう(笑)。

それでどちらかというとヤンチャな方向に進んでいく、と。

MKT

んー、自分の中では全くもって普通だったんですけどね。

周りの方々と遊んでいるうちにそうなったような感じでしょうか?

MKT

そうですかね。

小学校の頃に好きだった音楽や趣味などはありますか?

MKT

サッカーをやっていました。ただ、親父が土方で苦労したからですかね、自分のガキには「学がないとダメだろう」なんて言い出して、大好きなサッカー無理矢理辞めさせられて、塾に行かされたんですよ。そこで完璧に狂いましたね、多分。今思えば(笑)。それこそSANDの上手ギターのIshiちゃんとかも同じサッカー少年団で楽しくやってて。なのに、俺だけ途中から塾に。

サッカーと塾を並行してやらせてはもらえなかったんですね。

MKT

ですね。俺は学校で足が一番速かったんで、サッカー少年団の監督にスカウトされて始めたもんだから、楽しいじゃないですか。でも、無理矢理辞めさせられて塾なんて、行ってはみたものの、意味不明でしょ。(笑)俺が勉強、出来るわけないし、結局スネちゃって。で塾行ってるふりして、街で色々と手クセの悪いことしてたのがバレて、警察に捕まって、親に連絡いきますよね、で親父にボコボコにされて「てめえみたいな面汚しは云々」みたいなことを言われたんです。俺はそれでブチっとキレて。そこからは終わりましたね。

「終わりました」というと?

MKT

カスになってしまいました(笑)。家ではゴミ扱いされ続けるんですよ。それでもういいやって思って、夜な夜な外でて、悪いことばかりしましたね。

CONTRAST [インタビュー] MAKOTO (SAND) | 受け継いだ命、故の反抗―

どんな遊びをされてましたか?

MKT

小学校~中学校くらいは、田舎なんで、遊ぶとこもないから、ツレの家に行ってBOOWY聴いて、尾崎豊聴いて、ブルーハーツ聴いて、長渕聴いて、じゃ、ハイライト吸ってみるか?って言って「これ、きついな~!」なんて、飲めない酒や、タバコやったり(笑)。バイク乗ってちょろちょろしたり、シンナー吸ってみたり、へんてこなドラッグ?みたいなのやってみたり、なんせダラダラしてましたね。

(笑)。その頃、他にハマったアーティストはいますか?

MKT

「友達の兄ちゃんがこれを聴いてたぞ」って聞けば、それ聞いて影響受けて、頭ごっちゃになるじゃないですか。「GUNS N’ ROSESなんてのがあるらしいぞ!」つって。

なるほど。教えてもらった知識がそのまま…。

MKT

違う日には、「BRANKEY JET CITYってのがあるらしいぜ」って聴いて「声、キモチワルーーー!」って思ってたのが、いつの間にかハマったり。「メタリカっていうのもいるらしいぞ」なんて。なんだこりゃーって、だからもう、カオスですよね。他のヤツよりは、ちょっと音楽好きだったのかもしれないですね。もしかしたら。聴くの専門ですけど。

楽器への興味はなかったんでしょうか?

MKT

俺は全然ダメでしたね。ツレのギターを触らせてもらって弦を押さえた瞬間、「あーー、キモチワルッ!指が切れそう!」とか言って。

楽しければ良かった

では、音楽との出会いで印象に残っていることはありますか?

MKT

小学校の頃にBOOWYの「ホンキー・トンキー・クレイジー」をIshiちゃんに借りた時。そこらへんで頭がおかしくなったと思います。あれはたしか、「今度ライブがあるから」つってIshiちゃんがBOOWYのCDを貸してくれたんです。気に入って、シルエットステッカーをカッティングシートで作ってチャリに貼ったり。で、「ライブ行くぜ!」つって、地元の公民館に行って。ライブが始まったらあの格好した人がいるんですよね。靴の先まで布袋柄で、ギターまで布袋仕様。CDと全く同じ格好した人がいて、「うわー!本物のBOOWYだ!!」って思ったんです。ピュアだったんでしょうね。それ、当然BOOWYじゃなかった(笑)。ツレの兄ちゃんだったんですよね。俺は心から本人だと思ってたんですけど、どうやら違ったみたいで。そこがターニングポイントですかね(笑)。「本物だ!」って焦ってた(笑)。

「伝説のバンドが地元に来た!」みたいな(笑)。

MKT

思えば、客は10人ぐらいしかいなかったですけど(笑)。本物のBOOWYだと思ったのが間違いでしたね。

生演奏の感動をそこで受けてしまったから。

MKT

そうですね。思えば、えらい小さい頃に、いきなり生演奏の衝撃くらいましたね(笑)。

CONTRAST [インタビュー] MAKOTO (SAND) | 受け継いだ命、故の反抗―

BOOWYをIshiさんから教えてもらったって仰いましたけど、彼の影響は大きいんでしょうか?

MKT

大きいかもですね。あいつは、小学校4年の時に東京から転校してきて。「転校生が東京から来とるらしいぞ」と。来てすぐ、同級生の後ろをチョロチョロついて歩いてたから「鬱陶しいな」と思って、「おい、転校生。放課後、グランドのバックネット裏に来い」って呼び出したんです。で、いきがって行って「てめえ、調子乗ってたらしばくぞ」て脅したら、Ishiちゃんがメガネ取ってクソでかい声でいきなり「殺すぞコラー!!!」って。当時、小4ですよ。俺は舎弟みたいなの2人連れて意気揚々と行ったのに。マジで小便チビるかと思いましたね。一瞬でひるんだ(笑)。だから、「覚えとけよ」とか言って、そのままびびって帰った(笑)。それがIshiちゃんとの出会いでしたね。

それが今ではメンバーなんですね。

MKT

あの人、頭オカシイでしょ。小4でいきなり「殺すぞ」って。

まあ、無理ですよね(笑)。

MKT

超ビビリましたよ。Ishiちゃん、怖かったです。

SANDでの特徴的なスクリーミングも、そこから来ているんでしょうか?

MKT

(笑)。あの雄叫びは小学校4年で、僕初めて聴きいたかもしれない。

なるほど。SANDの曲では、Ishiさんのスクリームも相当なフックだと思うんです。言葉は悪いですけど、狂っているぐらいのスクリームで。

MKT

いや、ほんとにあの人、色々狂ってますから(笑)。

いい意味で、だと思うんですけどね。では、Ishiさんとはずっとツレというか。

MKT

そうですね。俺が大阪の方に出て来てた頃、Ishiちゃんは別で京都の方にいたんですが、その頃大阪で知り合った友達が初めて連れて行ってくれたライブが、Straight Savage Style(楽曲参考:HARDCORE PRIDE 5 – ED)のライブで。

ああー!

MKT

「何だこれ!?」ってなって。ライブ観て帰ってから、「Ishiちゃん、すごい面白いもの見つけた!お前もこいよ」って誘いましたね。それからいろんなライブ観に行ってみて、「これやるべ。絶対やったら面白い。お前ギター弾けたろ?やろや」って言ってSANDを始めたんですよ。まぁノリです。

やっぱりStraight Savage Styleの影響は相当大きいですか。

MKT

大きいというか、初めて観たのがあれだからびっくりしますよね。バンダナで顔も見えてなかったし、ダボダボ、全身真っ黒で警棒もって、その出で立ちで「ウワー!」とか。「何だこれ、おもしろー」ってなりました。

僕は関東の田舎の方に住んでましたけど、大阪、関西のSxSxS周りはすごい怖いって印象がありました。「マジかよ、警棒持ってるぞ!」みたいな(笑)。

MKT

(笑)。

CONTRAST [インタビュー] MAKOTO (SAND) | 受け継いだ命、故の反抗―

でも、東京だったら80年代のHARDCOREは、しっちゃかめっちゃかだったって話を聞くじゃないですか。やっぱりライブハウスでそういう話を聞くと、思春期の心をくすぐるというか。その意味では僕自身、リアルタイムで衝撃を受けたのは、『HARDCORE PRIDE 5』のエンディングのモッシュのシーンで。あれを観て、「すごいな、怖いな」と思いながらも、「楽しんでる、かっこいい」って感じたんです。その頃の大阪のライブハウスは、どんな雰囲気だったんでしょうか?

MKT

いや、最高で、最悪じゃないですかね(笑)。もう好き勝手やりすぎて。今思えばですけどね。当時はみんな分かってないんで、めちゃくちゃしてましたね。

その頃SxSxSとして、ライブハウスにいるのが楽しいって感覚は…?

MKT

SxSxSってただのチーマーなんで。昔の話ですけど、その中にちょっと音楽が好きなヤツがいてバンドやってたっていうだけで。普段は夜な夜な集まって街に出るわけですけど、暇じゃないですか。ミナミで色々とムチャクチャして、何がしたかったのか分からないですね。高級車に裸にしたやつ特攻させて当たり屋したり。暇だからヤン車検問して、いちゃもんつけて金取ったり。催涙スプレーで車から引きずり降ろしてシバいたり。結局、そのノリのままライブハウスに行くから、他の人達からしたら完全なる迷惑ですよね。そのうちの何人かはバンドやってるけど、他のみんな、何のこっちゃ分かってないし。「何してんだ!」ってステージから言われるのに対して「知らねえよ、馬鹿。殺すぞ」ってステージから引きずり下ろしたりとか(笑)。

とにかく、楽しければいいやみたいな感覚だったと。

MKT

楽しければいい、最悪ですよね。人殴って、ゲラゲラ笑ってるなんて。今思えばゾッとします(笑)。

悔しさの果てに

SANDを結成されて活動を進める中で、ヒップホップなどとの絡みも色々あったと思います。最初の頃に出会って衝撃だったヒップホップのアーティストはどなたですか?

MKT

最初のほうはTOKONA-XM.O.S.A.D.PHOBIA OF THUG、などですか。

どのような出会いだったんでしょう?

MKT

MURDER THEY FALL」っていう名古屋のイベントに呼ばれてですね。そのイベントに出させてもらって、「こんなのやってるんだ、超イケてる。これ大阪でも出来ないかな」ってのが「FREESTYLE OUTRO’」の着想です。だから一回目はM.O.S.A.D.やPHOBIA OF THUGに出て欲しいって言って。あとは、AK-69ですかね。CALUSARIで歌ってたし、同い年なんですぐ仲良くなって。

CALUSARIの影響もやっぱり大きいんでしょうか?

MKT

そりゃあ、デカいです。

CONTRAST [インタビュー] MAKOTO (SAND) | 受け継いだ命、故の反抗―

当時、関東のNUMB、名古屋のCALUSARIっていう感覚だったと思います。そこからSAND/NUMB/CALUSARIで『quoutlaw』というスプリットを出すわけですが、それに至ったのはライブをよく一緒にやっていたからでしょうか?

MKT

いや、「やったことある」ぐらいだったですかね。当時の前後関係ちゃんと覚えていないんですが、あのスプリットを出してから、ガチンコツアーをしようってなって、色んな所に行ったんですけど。どこに行っても個人的にはボコボコに負けましたね(笑)本当に。何が勝ちって定義はないですけど、あからさまに「あー、ダメだ」みたいな。俺らは一つ下の世代だったので、スキルも何もかも足りてなかった。主催だったJUKEBOXXX RECORDのカズキ君がフックアップしてくれて参戦したものの、ボロ負けですよね。それがもう悔しくて悔しくて。本当に怒りすぎて、他のバンドに挨拶もせずに黙って帰ったりしましたね。メンバーと帰りの車の中で取っ組み合いの大喧嘩とか。

喧嘩までですか。

MKT

「俺たちは大阪の面汚しじゃねえか」とかって。こんなボロ負けで、どの面下げて帰るんだよって。「てめえのギターがヘボいからだカス」って言ったら「てめえのボーカルだ」って、毎回車の中で大喧嘩(笑)。本当に悔しかったんですよ、どこに行っても。涙が出るんじゃないかってくらい悔しくて。自分たちの不甲斐なさに。そこからくらいですかね。本当にバンドとして向き合い出したのは。

今までのMAKOTOさんのインタビューの中で2004年頃からが活動が活発になったと仰っていたので、このスプリットのツアーが転機になっているんじゃないかと思っていました。

MKT

うん、大きいです。あそこで話にならないくらいボロ負けしたのを自分で認識しているので。あれがあって、今があるんじゃないですかね。

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