CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] 葛藤と模索で生まれる継続

葛藤と模索で生まれる継続

KO(プロフィール)

KO

プロフィール KO
【SLANG】
KO(Vo) / KIYO(Gu) / SAKUMA(Ba) / KO-HEY(Dr) 1988年札幌にて結成。これまでに6枚のアルバムをアメリカやヨーロッパといった世界各国で発売。骨太なサウンドを世界的に響かせている日本のHCバンドの代表格である。海外の錚々たるメンツのツアーサポートや自らも積極的に海外ツアーを行なっている。中心人物のKOは札幌 のライブハウス KLUB COUNTER ACTION / STRAIGHT UP RECORDSの創立者でもあり、毎年ZEPP SAPPOROで主催の「POWER STOCK」を開催。2011年3月11日の東日本大震災では、誰よりも早く現地に向かい復興支援にも尽力、結成から24 年 経った今も結成から全くぶれない活動を見せている。
http://www.slang1988.com/

札幌のパンク/ハードコアの立役者であり、父ともいえるKO氏。札幌ハードコアの雄・SLANG、全国各地から筋の通ったバンドを世に排出し続けるSTRAIGHT UP RECORDS、そして札幌ライブハウスの代表格KLUB COUNTER ACTIONを基盤とし、昨年の震災以降はNBC作戦をはじめとした被災地支援に向けて、誰よりも先んじて行動した。

先を見据えた意思と行動は、何にも代え難い説得力を持つ。後ろ指をさされようが、どんなレッテルを貼られようが、信じた道を突き進む彼の強さは、人々に活力を与える。抗い、対話し、主張し、時には受け入れ、考えに考え抜いて足を踏み出す。それは自然なようでとても難しいこと。

その活動の原動力はどこからくるのか。そして、自身のバンド、レーベル、ライブハウスに対する意識とは。生い立ちから現在の音楽シーンに対する考えを交え、思いの丈を大いに語ってもらった。

Text by WATACO Photo by Kohei Suzuki

やんちゃ坊主から乱暴者に

現状、NBC作戦やNO NUKESなどで、震災に関するみんなの意識をKOさんが代弁してくれるという印象があるのではと思います。その上でKOさん個人のイメージが出来上がってきているというか。

KO

何か、“いい人”みたいなイメージになってきてるなーと感じたら、結構悪態つくようにしてるんだよね。善人みたいなイメージを壊さなきゃ、と思って(笑)。

その意味では、今までの歴史を伺いたいです。子供の頃はどんな子でしたか?

KO

いわゆる“やんちゃ坊主”で、よく人を怪我させてたね。石とかぶつけて(笑)。無茶な遊びが好きだった。小学校の時なんてずっとそんなんだったなあ。まあ、今だったら事件になるかもしれないけどさ。ロケット花火戦争とかそういう程度はやるでしょ?

そうですね。僕も大好きでした。

KO

最初に住んでたアパートから200m~300m奥まったところに、公務員住宅の平屋が何個かあってね。その集合地のヘリに木があって、そこを境に1段高さが変わるんだよ。ほんの少し高いところは公務員住宅とアパート、下に降りると町営住宅になってて。町営住宅には、生活保護受給者やその頃だとアイヌの方々が住んでた。俺の家は1段高いところだったけど、その周りの奴と遊ぶのは面白くなかった。だから、1段降りたところの奴らと毎日遊んでたわけ。

なるほど。住む場所の違いが目に見えて存在していたんですね。住む人々も多少違ったのでしょうか?

KO

うん。もうすごいの、そいつら。とりあえず手クセが悪くてねー。やんちゃの度合いも半端じゃない。みんな年上だったけど、そんなやんちゃな人たちと遊んでるのが面白くて面白くて。公園でプロレスごっことかしてたな(笑)。勝てたためしがなかったけどね。みんな年上だから(笑)。けちょんけちょんにやられるんだけど、そのうち手加減もしてくれるようになって。

CONTRAST [インタビュー] KO (SLANG) | 葛藤と模索で生まれる継続―

それは小学校の頃ですか?

KO

小学4年生くらいまで。そこから初めて転校した。

どちらに越されたんでしょうか?

KO

引っ越す前までは襟裳岬に近いのどかな漁師町で、越した先も漁師町だった。ただし、ゴリゴリに筋金入りの。そこで俺もまた乱暴者に輪かけた感じになってきて。結構揉めるから…。袋叩きにされたりしたなあ…。うん。

漁師町特有の雰囲気ってありますものね。

KO

そうだね。とはいえ、俺自身はやられたことは覚えてても、やったことは記憶にないけどね。多分色々やってたんだろうけど(笑)。

(笑)。ガキ大将ではなく、乱暴者の輪があったからそこにいたような感じなのでしょうか?

KO

そうそうそう。ただ、変なチームみたいなのじゃないよ。そういうのはカッコ悪いって雰囲気が周りにもあった。

群れるのではなくて、楽しいから自然と一緒になっていったのでしょうか?

KO

うん。なんとか連合みたいなものを作ろうっていう動きよりは、みんな一匹狼。

なるほど。そこで中学時代も過ごしたのですか?

KO

いや、そこには1年半しかいなかった。小学4年の秋に行って、6年の春にはニセコのスキー場で有名な倶知安に来た。長万部と札幌の間ぐらいのところ。

SEX PISTOLSとG.I.S.M.の衝撃

では、音楽に対して最初に興味を持ったのはいつなのでしょうか?

KO

最初は、歌謡曲とかベストテンじゃないかな?ゴダイゴツイストとかかな。「あーロックだなあ!」と思ったのは横浜銀蝿ね。めっちゃ不良じゃんこいつら!って思った。

銀蝿をリアルタイムで体感したら衝撃でしょうね。

KO

そうだね。それが小学4年か5年の時かな。6年で倶知安に来てからは、友達がシーナ&ザ・ロケッツとかYMOとか貸してくれたんだ。そこで一緒にSEX PISTOLSのカセットが回ってきてさ。「すげえすげえ!」って興奮したよ。学校でほうき持って、「絶対すぐバンドやるぜ!」って意気込んで。それから中学に入ったら、THE MODSとかTHE STALINTHE CLASHなんかが先輩からドンって降りてきた。カセットテープをみんなでダビングしてたなー。音楽にのめり込んだのはそれからじゃないかな。

CONTRAST [インタビュー] KO (SLANG) | 葛藤と模索で生まれる継続―

パンクで限ったらSEX PISTOLSが最初なのでしょうか?衝撃という意味でも。

KO

そうだね。衝撃では絶対SEX PISTOLSかな。その頃住んでた家は、中学と高校が近くてさ。SPARKS GO GO(以下:スパゴー)の人たちが高校にいたんだ。バンドが盛んで、しかも1バンドを抜いて全部パンクバンド。コピーバンドだけどね。ただ、スパゴーのギターとドラムの兄弟は既にオリジナルでパンクバンドをやってて、デモテープまで作ってた。それがまた俺たちまで回ってきて。当時、オリジナルのパンクバンドがいるなんて、俺たちは楽しみでしょうがなかった。

その時期にオリジナルを始めるのはまた早いですね!

KO

それで俺が小学6年の時に、近くの高校の学祭にロックのバンドが出るって聞いたから、録音用のラジカセ持って観に行って。そこで見たのが、そのスパゴーの人たちのパンクバンドなんだ。それからは毎年行ってたね。

では、ライブを体験したのも早かったんですね。

KO

そうだね。で、その学祭で工業科とか電気科の不良たちは、催事の喫茶店で金儲けみたいなことしてた。その喫茶店の中にSEX PISTOLSの映画を上映するところがあって。機械科だったかな。一番不良の多いところ。そこに弟連れて観に行ったの。

小学6年で… 勇気がありますね…

KO

はは。それで中に入ったら、今のスパゴーのボーカル八熊が偉そうに座ってた。周りは不良しかいないし「うっわ、恐え!」なんて思ってたら、「お前何しに来た?」って聞かれて。「SEX PISTOLSのビデオ観たくて…」って答えたら、優しい人が「じゃ今観せてやっからよ!観てけ観てけ!」って始まったんだ。でも10分もしないうちに八熊が消しちゃった。「何で消すんだよ、あの子たちせっかく見てんのに!」って言ってくれたんだけど、「いいよ、あんなガキ、お前ら帰れ帰れ」って。俺それで今だにアイツ嫌いなんだよね(笑)。中学3年の時なんかずっとアイツには悪態つき続けたからね。

そんな関係性があるのですね。

KO

大人になって会っても、「あ、あの生意気なガキだな」って俺をうっすら覚えてるみたい。でも、根はもっと深いんだよ…、お前はあの時ビデオ消したよなって(笑)。

CONTRAST [インタビュー] KO (SLANG) | 葛藤と模索で生まれる継続―

(笑)。SEX PISTOLSもそうですが、その頃聴いていたのは海外のパンクばかりだったんでしょうか?

KO

最初は全然知らなかったけど、中学生でハードコアに傾倒していったよ。俺らが髪立てて中学校に行ってたら、登校路が一緒だからスパゴーの少し下の世代の高校生と会うんだよね。それでよく声かけてくれてた。ある日「お前らG.I.S.M.とか知ってるか?」って、GREAT PUNK HITSかなんかのジャケット見せられて、「これはヤバい」と衝撃を受けたよ。他にもレコードを沢山貸してくれる人がいて、中学3年ではハードコア、ハードコア言ってた気がするね。

やはりG.I.S.M.の存在は大きかったですか?

KO

相当デカいと思う。日本全土で存在がデカかったんじゃないかな?約30年前に北海道のド田舎で「G.I.S.M.ってな、スターリンとかモッズのライブ潰したり、めちゃめちゃヤバい人たちなんだぞ!」っていう話を聞いたんだよ。半端じゃない田舎町だし、まして俺は中学生だよ?都市伝説どころじゃないでしょ。後々、横山さんに会った時には「すごかったですよ、都市伝説の具合が」って伝えたけどね。とにかく、田舎でもカリスマだった。誰でも知ってたもん。それがハードコアの洗礼かな。

SLANGのはじまり

札幌に移られたのはいつ頃なんでしょうか?

KO

中学を卒業して1年くらいバイトしたり、プー太郎みたいなことしてから札幌に来たんだよ。プー太郎だった時期には先に札幌に出てる友達を頼りに、そいつの家によく泊まってライブに行ってた。15歳だったかな。その頃、怒髪天の増子さんとかと知り合った。

なるほど、そこでお知り合いになるんですね。

KO

街でいつも髪立てて歩いてたからね。昼間から子供が髪立ててうろついてりゃ珍しいし、「学校どうしたの?」と思うでしょ。だから、すぐ声かけられて。「おう、どっから来た?ライブ観においで」ってね。

その出会い以降、札幌での音楽体験が深まっていくんですね。では、バンドを本格的に始められたのはいつ頃なのでしょう?

KO

15~6歳の頃はそんな感じで行ったり来たりしてて、17歳の頃に自分で部屋を借りて本格的に札幌に移り住んでからだね。その頃、LSDのボーカルが札幌と東京を行ったり来たりしてる人でさ。LSDのギターに誘ってもらった。理由は「モヒカンだから」(笑)。「お前のモヒカンいいよ。何か楽器出来ないの?」って言われて、「ギターなら気持ち程度…」って応えたら、「じゃあ大丈夫!」って(笑)。「大丈夫なのか?」ってちょっと思ったけど(笑)。

CONTRAST [インタビュー] KO (SLANG) | 葛藤と模索で生まれる継続―

(笑)。気持ちさえあれば!って感覚でしょうか。それが最初ですか?

KO

うん。LSDに入って88年の3月だか5月にライブやって、アルバムを作りはじめた。でも、ボーカルの人が諸事情で札幌にいれなくなっちゃって。そこで違うボーカルを入れてライブしたのがSLANGの始まり。LSDとメンバーは一緒で曲作りなんてわかんなかったし、ライブでは持ち曲をそのままやってたな。最初の2~3回は今の横浜のバンドやさぐれのボーカルがやってくれた。

横浜の!そんな縁が。

KO

実は16歳の頃に登別に少しいたんだけど、その時にやさぐれのボーカルとモヒカン同士でたまたますれ違ってさ。それが縁で。でも、それ以降ボーカルいないしどうしようって困って、bloodthirsty butchersの吉村さんにオファーかけたの。ノってくれたんだけど、LSDの曲は歌えないと言われて。だから、「吉村さん、曲作って!」ってお願いした(笑)。曲の作り方もわかんなかったから言いたい放題言ってたら、「お前らそれじゃダメだ」って歌えそうな曲を5~6曲作って来てくれてね。吉村さんボーカルのSLANGは5回ぐらいやったかなあ。そして、その88年の暮れぐらいに初代のボーカルが入ったんだ。

はじめはメンバーが流動的だったんですね。ちなみに、その頃の札幌のライブハウス事情はどういうものだったんですか?

KO

スタートがボーカルヘルプだからね(笑)。会場は今のBESSIE HALLがメインになり始めた頃だね。

活動はどのようなスタンスでしたか?

KO

ひたすら地元でガンガンやってたね。ライブの量は多いし喧嘩もすごかったから、お客さんが減ってきちゃって。だいたいやらかすのは身内の人間なんだけどさ。まあ、怖くて来なくなっちゃうよね。フロアが血まみれとか毎回あったから。「SLANGは特に戦場」みたいなイメージもついちゃった。関係ない奴いきなり殴ったり、喧嘩だけしに来る奴もいたよ。ライブ中の喧嘩はほんと飽き飽きしてた。外では毎日自分もやってたんだけど(笑)。