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CONTRAST [インタビュー] 技術を越えたグルーヴ―後編

技術を越えたグルーヴ―後編

橋本塁(プロフィール)

橋本塁

プロフィール 橋本塁
1976年北海道生まれ。24歳の時、ジーンズのパタンナーから突如カメラマンに転身。雑誌『ollie magazine』の社員カメラマンを経て、2005年に独立。同年1月に写真集『LOVE』を出版。2006年から自身の写真展&ライブイベント『SOUND SHOOTER』を毎年3月に定期開催。GLAY、Hawaiian6、the band apart、ストレイテナー、THE BACK HORN、THE BAWDIES等のオフィシャルライブ写真、アーティスト写真等を担当。

2010年10月には、ドットをコンセプトにしたアパレルブランド『STINGRAY』を立ち上げる。
橋本塁 公式サイト
STINGRAY 公式サイト

フリーランスカメラマンとしての生活が幕を開けた直後に、突如抱えてしまった約300万円の借金。マイナスからのスタートを打開するため、橋本塁は写真展とライブをパッケージしたイベント『SOUND SHOOTER』を開催して、人生大一番の勝負に出る。結果は大成功。崖っぷちに立たされていた橋本は、自力で考えた身の振り方を通じて、大きな武器を得ることができた。

現在の橋本塁の主戦場は変わらずして音楽ではあるものの、その振り幅は年々拡大している。彼が撮影を担当しているのは、GLAYのような有名バンドから写真を撮るきっかけとなったHawaiian6までと、今やオーバーグラウンドとアンダーグラウンドの垣根を越え、自由に渡り歩くようになった。時には一人では仕事が回らず、アシスタントとともに日々の激務をこなしている。

そんな橋本がアシスタントを採用するようになったのは、実はフリーランスカメラマンとして駆け出しの頃。つまり冒頭に記した多額の負債を抱えたタイミングなのである。なぜ橋本は危機的な局面にもかかわらずアシスタントを採用したのか。彼ならではの育成方針とともに、師弟関係にまつわるエピソードを語ってくれた。

Text by Shota Kato Photo by Kohei Suzuki

フリーになってからの身の振り方は、自力で考えて構築してきたもの。

インタビューの前半では塁さんのキャリアの変遷を伺いましたが、後半はアシスタントの採用についてのお話をお願いします。資料によると、はじめてアシスタントを採用したのは2003年ですけど、ollieの社員カメラマンだった時代ですよね。

橋本

そうですね。社カメ時代の後半ですね。

自分から募集をかけたんですか。

橋本

あ、違います、違います。僕にはアシスタントっていう概念がなかったんですよね、自分がアシスタントになったことがなかったから。ollieの時に、社カメの先輩のアシスタント業務みたいなことは教えてもらってやってはいましたけど。フィルム装填だったり、ラボ屋にフィルム出しに行ったり、機材持ちだったり。

カメラマンの手足というイメージでいいですか。

橋本

そういう感じですね。僕はそういう経験をしたこともなければ、基本的に「全部自分でできるわい」って思っちゃって、そんなことを人様に頼むような立場でもなければ、第一に下手だと思ってたんで。『LOVE』を出した時のことなんですけど、写真集の最後のほうに問い合わせ先に03の電話番号を載せて、自分の携帯に電話が転送されるようにしてたんですね。そしたら「どこで売ってるんですか?」っていう問い合わせが多くて、店頭ではタワーレコードでしか売ってなかったから、電話が掛かってくる度に「タワーレコードで売ってます」と答えて。ある人に「池袋のタワーレコードで売ってますかね?」って聞かれて、「売ってるんで、買ってみて下さい」って答えたんですよ。数時間後には「ありました、ありがとうございました!」っていう電話をくれて。そしたらその数日後に「この間、『LOVE』を池袋のタワレコで買った者なんですけど、アシスタントって募集してるんですか?採ってもらいたいんですけど」って言われたんです。

CONTRAST [インタビュー] 橋本塁 | 技術を越えたグルーヴ―後編―

それはちなみに…?

橋本

あいつ(鈴木公平、フリーランスカメラマン)です(笑)。なので、あいつがいなかったら、今でもアシスタントを採るっていう概念はなかったですね。それで「一度会って面接して下さい」って言われて、それを無下に断るわけにもいかず、下北沢のファーストフード店で一回面接をして、僕は断るつもりだったんですよ。そんな給料を払えることもできなければ、教えられることもない。話を聞いていても、「いやいや、自分で撮ればいいじゃん」と思ったんです。彼は彼で「スタジオで働いてたけど、辞めてきた」って言って、申し訳ないんだけど「バカなんじゃないのか…」と思って(笑)。

あはは。

橋本

でも、パンチあるところが良かったんですよね。僕ですら生活するのが危かったんで、「お前に払う給料はないぞ」って言ったら、「バイトするんで」って言って。それから3年弱ぐらいになりますね。その当時、僕は全然忙しくなかったんですけど、撮影がある時は全部付いて来てもらったり、ものすごい量の『LOVE』の在庫を二人でトラックに入れて、業者に処分を依頼しに行くっていう作業も手伝ってもらったり(笑)。。

歴代のアシスタントって何人ぐらいになりますか。

橋本

公平の後から年1ぐらいで採ってますね。2代目がヤマテツ(山川哲矢、Showcase management所属)と女の子が3人。今は6代目になりますか。どんどん人が増えてはいますけど、その当時から今までビタ一文、撮り方だったり、ライティングの仕方だったり、っていう技術を教えたことはないですね。おこがましいかもしれませんけど、写真展を仕掛けるとか、フリーになってからの身の振り方は、自力で考えて構築してきたので、それをそばにいて感じてもらえればなぁ、とは思ってました。スキルアップは自分たちで勝手にしてくれると思ってるので。それよりも「写真が下手なのにここまで来たんだよ、俺は。どうして成立してるのか分かる?」みたいな部分を見ていてほしかったし、たぶん見てくれていると思っています。

なるほど。つまり、実践してきたスタイルですね。

橋本

そうです、精神論ですね(笑)。何に対しても、自分で考えて動く。それを一番教えたいですね。それはバンドにも言えることだと思うんですよ。バンドをやりたくて、ローディーをやってる人とかもいるわけで。僕は考え方をバンドに置き換える癖もあるんですね。テクニックだけを追い求めても、個性はついてこない。人間力ばかりがあったって、音楽性は付いてこないって。

バランス感が重要だと。

橋本

そうです。写真表現の一つひとつがオリジナルだとは思いません。もしそうだったら、ギターウルフなんて存在しないですよ。あんなかっこいい、だからといって超画期的な音楽を発明したかって言ったら、そんなことはないじゃないですか。けど、ギターウルフの生き方、スタイル、アイデンティティだったり、あれは唯一無二であって。

なるほど。

橋本

なので、僕も写真を始めて間もない頃は、海外のGlen E. Friedmanというカメラマンの『FUCK YOU HEROES』という写真集とかを眺めて、「魚眼で撮ってるライブ写真ってかっこいいな!」っていうふうに影響は受けていますし。バンドもそうじゃないですか。最初からどのバンドにも憧れずに、バンドをやり始める人なんかいないですよね。絶対に好きなロックヒーローがいて、そのバンドになりたくてコピーを始める。そういうことだと思うんですよ。だから「誰もやったことのないような写真表現をやろう」なんて僕は考えもしなかった。音楽が好きだったら、そのバンドの魅力をものすごく誇張するわけでもなく、ものすごくしょぼくするのでもなく、ただリアルな姿を的確に伝えればいいと思っているので、そこに自分のエゴはありませんね。

CONTRAST [インタビュー] 橋本塁 | 技術を越えたグルーヴ―後編―