CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] 全てはやるか、やらないか―前編

全てはやるか、やらないか―前編

大谷ノブ彦(ダイノジ)(プロフィール)

大谷ノブ彦(ダイノジ)

プロフィール 大谷ノブ彦(ダイノジ)
1972年生まれ、大分県出身。洋邦問わず音楽や映画に対して造詣の深く、これまでに数々の音楽雑誌・映画雑誌にて連載を執筆。お笑いだけに活動のフィールドを限定せず、サブカルチャーにまつわる知識を武器に、縦横無尽にジャンルを横断する。

ダイノジ
1994年結成。大谷ノブ彦と、2006年、2007年エアギター世界チャンピオンの大地洋輔からなるお笑いコンビ。
数多くの演芸・ネタ番組に出演する本格派漫才師でありながら、レポーターや司会業でも新しい魅力を発揮し、よしもとにおいてサブカルチャーに最も精通した、いい意味でよしもとらしくない稀有なコンビ。舞台や寄席を愛し、定期的にストイックにライブ活動にも励む。
近年はDJのパフォーマンスで様々なロックフェスティバルにも出演。自身が企画したDJパーティー「ジャイアンナイト」、ロックフェスティバル「DRF」で多くのミュージシャンと交流を深め、活動の場を広げている。
ダイノジ 公式サイト
大谷ノブ彦ブログ「不良芸人日記」

熱量を注いで何かを語れる人が好きだ。音楽、映画、ファッション、アイドルやアニメ、対象は何だっていい。その持論が正しいかどうかも重要ではない。ある事象を自分の視点で分析し、自分の言葉に変換できる能力は、やがて大きな武器となり得る。

ダイノジがお笑いの舞台だけでなく、音楽イベントを主催したり、ロックフェスでDJを務めたり、音楽のフィールドで活躍していることは、皆さんもご存知のことだろう。大地洋輔がエアギター世界一に輝き、一躍脚光を浴びたことは記憶に新しいことだが、相方の大谷ノブ彦は、これまでに自身の考察に基づき、サブカルチャーを中心に興味関心を示した事象について批評を展開してきた。その全てに共通しているのは圧倒的な熱量と分析力。大地がリアクションやアドリブでアジテートすることに特化しているならば、大谷は豊富な語彙と専門知識をトークや文章で巧みに表現することに優れている。

今回は大谷のキーワードである「熱量」と「批評」に焦点を当て、彼の生い立ちから現在までの変遷を前後編に分けてお届けする。前編は、地元・大分で過ごした青春時代から大学進学と同時に始まる東京生活が中心。時に爆笑、時に胸を締め付けられるエピソードを挙げて、そのルーツを語ってくれた。

Text by Shota Kato Photo by Takuya Nagamine

自己防衛がすごかった。自分を嫌なふうに思われたくなかったから。

自分はオンエアバトル(爆笑オンエアバトル)が始まった頃に高校生だったんですけど、オンエアバトルと言ったらダイノジという印象なんです。

大谷

あー、そうですか。ありがとうございます。本人たちはまったく影響力があるとは思ってなかったので、うーんですね、なんか(笑)。

そんな(笑)。僕らCONTRASTっていうウェブマガジンは、2011年の3月に立ち上げたばかりなんですね。取材対象のその人らしさというか、パーソナルな部分が滲んだ何年経っても読めるインタビューを残そうとしていて。熱量を持って伝えるということは、大谷さんと通じる部分があるんじゃないかと思っています。

大谷

俺も絶対熱量だと思うんですよ。それはマキタスポーツとずっと言っていて。熱量を持たないと、批評なんて届かないって。批評する側の熱量って今、問題だと思うんですよね。

どんなところで感じますか。

大谷

例えばCMだったら、俺より相方の大地(大地洋輔)が出たほうがCMになるんですよ。それに記事にもしやすい。でも、俺が大地を負かすとしたら熱量しかないんですよね。まさに言った通り、何年経っても読める記事というか、情報量と文字数をぶつけるしかないんです。だけど難しいのは、SNSとかは熱量をダイレクトにぶつけるとかわされてしまう。そこを深く考えてやってますね。今はニコ生(ニコニコ生放送)を研究してるんですけど、ものすごく楽しい。面白いツッコミがいっぱいあって、それを観ていると、ツッコミっていうものが芸人の中からなくなってきそうな気さえしていて。

CONTRAST [インタビュー] 大谷ノブ彦(ダイノジ) | 全てはやるか、やらないか

芸人の中でダイノジが音楽と密接な存在であることも重要なんですが、大谷さんのブログ(不良芸人日記)やダイノジの『よしログ』アーカイブを拝見させていただいて、サブカルチャーにまつわる引き出しの多さと持論の展開に驚いたんですね。今回のインタビューはそこにフォーカスしたいなと思ってます。さっそくなんですけど、大谷さんがサブカルチャーの洗礼を受けたきっかけを教えてもらえますか。

大谷

なんにも準備しないで言ってるんだけど、角川映画かなぁと一瞬思いました(笑)。

え、角川ですか。

大谷

僕、志穂美悦子が大好きだったんですよ。『二代目はクリスチャン』っていう井筒監督の作品なんですけどね、これは性の洗礼でもあったんですけど、回し蹴りを食らったような感じではありましたね。割と僕のちょっと上の世代になると、『ウルトラマンセブン』とか『あしたのジョー』とか『デビルマン』とか、そういうのがリアルなんだけど、僕が物心ついたのは80年代で、アメリカ映画が全部エンターテイメントで、上手く入っていけなかったんですよね。

これまでも70年代前半生まれの方々に原体験のエピソードを伺ってきたんですけど、角川を挙げた人ははじめてですね。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とか『スター・ウォーズ』にはのめり込まなかったんですか。

大谷

そうなんですよ。意外にみんなが夢中になるものを斜めに見ちゃうところがあって。だから、アイドル全盛期の時代にみんなアイドルが好きだったけど、僕は志穂美悦子や原田知世とかを好きな自分が大好きだった(笑)。だから、やっぱり角川なんだよなって。でも、なんかクラスで「原田知世が好き」って言うと、恥ずかしいみたいな感じもありましたね。

音楽はどうでしたか。

大谷

バンドブームが中3の時に来るんですよ。それまでは井上陽水とかを中2の時にかっこつけて聴いてたんですけど、中3の時に大地と出会っちゃうんですよ。大地は当時、学校で一番の人気者だった。テレビでやってるギャグをそのまま全開でやるようなやつだったから、やることなすこと典型的な中学の人気者みたいな感じで、みんなが「大地、面白い!」って言ってましたね。

大谷さんはどんな性格だったんですか。

大谷

僕は他人としゃべるのが、好きじゃなかったのかなぁ。

内向的な生徒だったんですか。

大谷

うーん、世界観があるというわけでもなかったし、ただ単に自己防衛がすごかったんですよね。自分を嫌なふうに思われたくなかったから。人って黙っていると、深みがあるように見えるでしょ?

CONTRAST [インタビュー] 大谷ノブ彦(ダイノジ) | 全てはやるか、やらないか

それはありますね。

大谷

学生の頃って、昼飯を食う軍団みたいなのあるでしょ?俺は一人で昼飯を食べてたんですよ。それこそトイレでメシ食ってたりしたこともあって。今、多いらしいですよね。

あぁ、「便所メシ」って聞きますね。

大谷

そうそう。俺は独りでいるところは見られたくないのに、一人ぼっちでいるみたいな人だったんですよね。でも、ある日の昼飯の時間に、大地の軍団に入れてもらったんですよ。

それは大地さんから大谷さんに声をかけて?

大谷

そうですね。それから色々話してみたら、お互い母子家庭で深夜ラジオを聴いていたっていう共通点があって。俺はビートたけしさんの「オールナイトニッポン」が大好きで、大地はとんねるずさんの「オールナイトニッポン」。共通して好きだったのが、小堺さん(小堺一機)と関根さん(関根勤)のコサキンだったんですね。それが「わぁ!」って盛り上がって、大地ん家に泊まり行くことになったんですよ。そしたら、ウチの母ちゃんがすげえ喜んで興奮しちゃって。俺が人ん家に泊まり行くなんてはじめてのことだったから、着替えを5着ぐらい持たされて(笑)。

多すぎる(笑)。

大谷

あとボードゲームあるじゃないですか。母ちゃんは4つぐらい買って来たんですよ。失礼のないようにって(笑)。

お母さん、本当にうれしかったんですね(笑)。

大谷

でも、バランス悪いですよね。大地に言われたのが「パジャマのお色直し、はじめて見た」って(笑)。

あはは!何をして遊んだんですか。

大谷

大地は俺にパンクロックを聴かせてくれたんですよね。聴いたのがセックス・ピストルズだったらカッコいいんですけど、ラフィンノーズだったんですよ。

ジャパコアですか。 。

大谷

大地の兄貴(大地大介、BEYONDS / fOUL)が東京にいたから、テープをどんどん送ってくれるんですよ。ラフィン以外にはクラッシュも聴いたし、ファンクバンドだった米米クラブとかレピッシュも。当時、二人で好きになったバンドがレピッシュでしたね。俺は凝り性だから、スイッチが入ったら一気に行くんで、気付いたらその一年で大地より音楽好きになっちゃったんですよ。母ちゃんからお昼ご飯代だけもらったら使わないで、全部レコード借りてきちゃうみたいな。それが中3、14歳の時ですね

CONTRAST [インタビュー] 大谷ノブ彦(ダイノジ) | 全てはやるか、やらないか

中学時代の俺では到底考えられなかった生徒会長に

高校の頃はどうでしたか。

大谷

高校生になったら、映画館のある大分市までウチから1時間かかるんだけど、日曜日になったら必ず市内に行って映画を観るような学生でしたね。でもウチは貧乏だったの。家も小さくて、スナックをやっていて。小学校の時は給食費を払えないこともあった。中2の時、俺は心が弱くて病院に通ってたんだけど、そういうことがあったから母親にしてみたら、俺が何かに興味を持ったことはすごくうれしかったんだと思う。だから高1の時は、母親と大分市まで出て『AKIRA』を観ましたもん。母ちゃん、全然分かんないのに。

いい話ですね。お母さんに『AKIRA』ってハードル高かったんじゃないですか。

大谷

「なんかカオスやなぁ」とか、知ってる英単語をいっぱい言ってましたよ(笑)。あと音楽で言うと、高校1年生の時に大分のライブハウスにユニコーンが来て、それを観に行ったんですよ。『服部』を出した時のリリースツアーで、大分だけスタンディングだったんですよね。その時にライブハウスの衝撃を受けちゃうんです。さっきサブカルチャーの入口は角川って言ったけど、入口を広げてくれたのは奥田民生さんですかね。民生さんがビートルズからの引用が多いとか言ったら、ビートルズを聴くし、民生さんが良いって言ったバンドは全部聴いていくっていう感じ。とにかく掘り下げることが大好きでしたね。

CONTRAST [インタビュー] 大谷ノブ彦(ダイノジ) | 全てはやるか、やらないか

好きな対象が薦めるものをチェックしていたんですね。

大谷

そうですね。クレイジーキャッツ・ミーツ・ビートルズみたいに両方イケましたね。その辺りは映画や本でも同じで、同級生のみんなが付いていけないようなものを観たり読んだりしてました。例えば、周りは銀色夏生を読んでるのに、僕だけ太宰治の短編集を読んでいて、「太宰治は面白いやつだ」っていう発想を言いたいみたいな。あの時代に芸人っていう選択肢があったら、太宰はコメディアンになっていたっていうことを言ってる自分が大好き(笑)。そうすれば、変なやつだと思われるじゃないですか。高2の時からライブハウスに通うになって、フィジカルな楽しさを体感し始めるんですけど、中学時代の俺では到底考えられなかった生徒会長に立候補したんですよ。

えぇ!今までのお話から生徒会長に着地する理由がまったく分からないですよ…。

大谷

いやー、これはまったく理由がないんですよね。たぶん退屈でしょうがなかったんでしょう。何かやりたいっていう躁状態になってたのかもしれない。僕は中学の時と一緒で高校でも目立ってなかったし、知名度もなかった。生徒会長に立候補する人ってみんな演説するじゃないですか。

応援演説の友達もいますよね。

大谷

でも、僕は応援演説の友達がいなかったんですよ。ところが、たった独りだったんだけど、信じられないくらいに演説が上手かったんです。自分でもびっくりしちゃって。

ああいう演説って、事前にかなり練って臨むじゃないですか。

大谷

もちろん一生懸命準備したんですけど、我ながらそれを人前で話すのが上手だったんです。人が俺の話に入っていくのが分かっちゃうぐらいに。すっげえ興奮して「あぁ、いい思い出ができたな」ぐらいだったんですけど、まさかの一番人気の子に勝っちゃったんですよ。

CONTRAST [インタビュー] 大谷ノブ彦(ダイノジ) | 全てはやるか、やらないか

すごいドラマですね…。生徒会長になって、どんなことに取り組んだんですか。

大谷

生徒会長が何をやったら面白いだろうなって考えたら、休み時間にコントをやったら面白いなって思いついて。コントを書いて、それを演劇部に持ち込んで「やらない?」って口説いて、そんなの観たことないからみんな集まってくるじゃないですか。「笑いをとると楽しいなぁ」って思えたら、次はバンド組んじゃおうとか、やらないよりは全部やっちゃおうみたいな感じでしたね。

とにかくアイデアを実行し続けたんですね。

大谷

面白いことをやるためには面白い人たちのものに触れていたいから、可能な限り音楽を聴きたいし、映画も観たいし、本も読みたい。そういう感じになっていきましたね。それで、たしか2年生の時だったかな。岡村靖幸が出てくるんですよ。岡村靖幸はショックでしたね、すごく。

メロディー、歌詞、動き、キャラクター、どこから切り取っても新しい人ですよね。

大谷

メロディーに日本語を乗せるみたいなものの大喜利が日本のロックのテーマだと僕は捉えているんだけど、例えばBOOWYとか、ある種、洋楽のコンプレックスから作られてるものだと思うんですよね。例えば「日本語ちゃんぽん」なんてキャロルが発明したものじゃないですか。岡村靖幸の歌詞は自分らが普段しゃべってるような言葉なんだけど、まったく新しくて過剰で笑える。しかも自分で演奏していて、変な踊りも踊ってるんだけど、ちょっとピュアで青春だったりして。もう新しい人ですよね。で、その1年後くらいに小沢健二が出てきて、まだフリッパーズ・ギターの時だけど。僕は奥田民生、岡村靖幸、小沢健二を「三大O(オー)」って呼んでるんですけど、その三人が10代の時に衝撃を受けた人たちですね。