CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] 伝統は攻めるもの

伝統は攻めるもの

株式会社能作(プロフィール)

株式会社能作

プロフィール 株式会社能作
大正5年(1916年)、富山県高岡の地に400年伝わる鋳造技術を用いて仏具製造を開始。高度な技術と用途や製品に応じた鋳造方法、金属材料(錫、真鍮、青銅、アルミ等)を用い、味わいのある製品を生み出している。

創業当時は仏具、茶道具、花器を中心に、近年はテーブルウェアやインテリア商品、建築金物などを通じて伝統工芸品である高岡銅器の魅力を伝え続けている。高岡市熊野町にGALLERY SA-KU(2003年)、日本橋三越本店に「高岡 能作」(2009年)、松屋銀座「能作」に続き、「能作」パレスホテル東京店をオープン(2012年5月17日)。「能」が詰まった味わいのある製品、「作」への好奇心を形にすべく、分野を越えたものづくりに挑戦し続けている。
能作 ウェブサイト

富山県高岡市に400年伝わる鋳造技術。長く受け継がれる伝統技術に革新的なアイデアを足して、能作は新たな伝統の創造に挑戦し続けている。

その革新的なアイデアとは何か?能作の製品には真鍮や錫といった金属が使われている。例えば、錫はこれまで柔らかくて扱いにくい素材とされてきた。ところが能作克治(能作代表取締役社長)は「曲がる金属ならば、曲げて使う商品を開発すればいい」と、食器の常識を覆す「曲がる器」を生み出した。「曲がる器」は東京都内の老舗百貨店の目に止まり、今や世界最大規模の生活雑貨の見本市メゾン・エ・オブジェをはじめ、世界各地の見本市でも大きな注目を集めている。逆転の発想から能作の快進撃は始まったのだ。

高岡から世界へ。能作流、伝統産業のダイナミズムに迫る。

Text by Shota Kato

高岡は知名度が低い。名字が高岡で、名前が能作だと誤解されてしまう。

能作社長は社長にご就任されて何年になりますか?

能作

2003年ですから9年ですか。普段ね、僕はだいたい会社に来るのが朝の6時で、帰るのが夜の11時なんですね。

なぜ毎朝6時の出社を続けているんですか?

能作

出張以外では誰よりも早く会社に来たいんですよ。6時から9時までの3時間はじっくり仕事ができるから。これが一番うれしい時間帯なんです。9時を過ぎると来客やら電話でバタバタと一日が始まって、逆に夜の8時から10時11時ぐらいまでは落ち着いて仕事ができるからです。

なるほど。密度の濃い3時間が朝夜にあるんですね。

能作

よく言うんですけど、僕は仕事が本当に楽しいんです。楽しかったら朝6時に来ませんか?

僕は断言できないです…(苦笑)。あまり睡眠をとれていない印象を受けるんですが。

能作

睡眠時間は4時間半ぐらいとだいたい決まっていて。家に帰ったら11時過ぎ、それから夕飯を食べて風呂に入って寝る。朝起きては会社に来る。この繰り返しですね。数年間はこのパターンです。あとは子どもたちが大きくなったというのもありますね。僕は今54歳で娘が3人いるんですが、全員20歳以上になりました。だから僕は好きなことをさせてもらっています。

CONTRAST [インタビュー] 能作 | 伝統は攻めるもの—

個人的には「ワールドビジネスサテライト」で能作のことを知りました。「曲がる器」は知っていたんですが、お恥ずかしいことに社名と松屋銀座や日本橋三越に店舗を構えていることを知らなくて…。

能作

例えば、三越のようなデパートに出店するお店に、「京都~」とか「東京~」、「金沢~」といった屋号があるじゃないですか。

そうですね。産地を意識したお店は特に。

能作

ウチはね、「高岡能作」にしたんですよ。そうしたらこれが大失敗で(笑)。皆「高岡さん」って言うんですよ。名字が高岡で、名前が能作だと誤解されてしまって(笑)。それぐらい高岡は知名度がないんですね。今度ね、東京のパレスホテル内に能作の店舗と事務所を新しく作るんです(2012年5月17日に能作パレスホテル東京店がオープン)。理由は、私が東京に行かなくていいからということなんですよ。社員を置きますから問い合わせがあれば現地で動けるじゃないですか。高岡に腰を据えていたいですから。

CONTRAST [インタビュー] 能作 | 伝統は攻めるもの—

なるほど。新しいビジネスチャンスですし、業務の効率化という意味でも重要ですね。

能作

そう。とにかく東京に行く回数が多くて。ところで、ウチの現場を見ていただいて若い社員が多かったでしょう?

CONTRAST [インタビュー] 能作 | 伝統は攻めるもの—

はい。若い職人さんがかなりいることには驚きました。

能作

ウチの場合は40代でも高齢なんです。50代以上の社員は僕を含めて二人ですね。40代が5人ぐらい。あとは20代と30代がほとんどですね。ある意味、すごくフラットな会社なんですよ。県外出身者も多いのですが、地域によって考え方や意識が違うんですね。福井県出身の僕は、鋳物屋に育たなくて良かったと思う点がたくさんあって。

例えば、どんなことでしょう?

能作

子どもの頃から鋳物に対する刷り込みがあったら、「これはこういうものだ」と思ってしまうんですよね。「親父がああ言っていた」というランクを超えないと、何の発展もないんですね。

発想にあらかじめ制限が生じてしまうということですね。

能作

そうですね。富山県って面白いところで、県外から来た人を「旅の人」と言うんですけど、これって私にとっては複雑な言葉でした。高岡という場所はすごく封建的な土地柄で、守りの姿勢の人が多い傾向があるんです。ところが旅の人には脇の甘いところがあって、同業者同士には絶対に教えないことを僕には言ってくれるんですよね。「お前は旅の人だから教えてやる」と。それを実践して本当にそうかどうかを確かめて判断出来るという利点が僕にはあって。ウチの会社は僕が来た頃には問屋さんを100%相手にしていたので、技術を売ることが仕事という認識があったんですよ。それで僕もどんどん技術を磨いて、15年間ずっと現場。一切表には出ずの職人になりましたからね。

CONTRAST [インタビュー] 能作 | 伝統は攻めるもの—

「商品を使っている人の顔が見たい」という衝動。

能作社長は芸大を卒業して新聞記者になって、その後、能作に入社しますよね。僕にとって新聞記者は志の高い職種のひとつなんですが、なぜ辞めてまでして能作に入社したのか教えていただけますか?

能作

能作に入社したのは、今から27年前ですね。僕にとって新聞記者は念願だったわけではないんですよ。本当はコマーシャルフォトをやりたかった。出版社の入社試験も受けたんですが、なぜか受かるのは新聞社。でも報道はあまり好きじゃなかったんですね。能作という会社は女系家族なんです。義父も僕と同じお婿さんで、僕は長男で妹しかいなかったんですけど、あの当時は定年にならないと地元に帰れないという変な規約があって、支局を転々としなければならなかった。高岡のほうが地元の福井に近いからという単純な理由で、高岡に来てしまったんですよ(笑)。もともと僕はものづくりが好きだったけど、来た当初はカルチャーショックが大きかった。給料もめちゃくちゃ安くて、月給13万円ですよ?でも、それぐらいしか出せないほどの売上だったんですよね。技術もなければ、職人も8人ぐらいしかいなかった。

CONTRAST [インタビュー] 能作 | 伝統は攻めるもの—

入社してからはどんな業務を担当していたんですか?

能作

15年間は鋳物をきれいにするという技術を磨いていました。でも「商品を使っている人の顔が見たい」という衝動がだんだんと出てきたわけですよ。2001年、ちょうど12年前になりますけど、高岡市のデザイン工芸センターというところで勉強会があって、安次富隆さん(ザートデザイン取締役社長、多摩美術大学 生産デザイン学科教授)というデザイナーと立川裕大さん(t.c.k.w.代表取締役社長)というコーディネーターが来たんですね。ALESSIというメーカーはご存知ですか?

キッチンウェアのメーカーですか、デザイン性の高い?

能作

そうそう。ALESSIのステンレス製のボウルを持ってきたんですね。彼らは「東京では素材感のあるものが売れている」と言ったんですよ。ウチはもともと茶道具を扱っていたので、僕は「建水という道具と何ら変わらないな」と気付いて、次回の会合の時に持って行ったんですよ。立川さんが「これはすごい技術ですね、薄肉の作りで。東京で展覧会をやりませんか?」と言ってくれたのが、ウチが東京に進出するきっかけだったんですよ。

展覧会の反応はどうでしたか?

能作

これがマニアックな展覧会でして。ウチは鋳物の技術がきれいだから、着色していない裸のままを見せれば良いということで、何の着色もしない製品を並べたんですね。その時に二つのことが起きたんですよ。

CONTRAST [インタビュー] 能作 | 伝統は攻めるもの—

二つのことですか?

能作

はい。インテンショナリーズという会社の代表で鄭秀和(テイシュウワ)さんというデザイナーがいるんですが、目黒のクラスカというホテルはご存知ですか?

はい。リノベーションしたデザイナーズホテルですね。プライベートでも行きます。

能作

あそこの照明を作ってほしいという依頼があったんです。

もしかして1階のロビーの照明ですか?

能作

そうそう。あれはウチが作った真鍮素材の照明なんですよ。作った時に、「仏具や茶道の伝統工芸メーカーが画期的な照明を作った」と建築雑誌に載ったんですね。それがひとつ。もうひとつは展示会に置くものがなかったんですよ。要するに仏具とか、建水なんかを加工したものを置いていたんですけど、真鍮は音がきれいということでベルを作ったんです。これを並べたら、バルスという会社から取り扱いたいというオファーをいただいたんですよ。はじめてユーザーに近いところにこのベルが置かれて、「これはチャンスだ」という意識になったんですが、なかなか売れないんですね。

一般家庭にベルを鳴らす習慣がないからですか?

能作

そのとおりです。家庭でこれを鳴らして、奥さんが料理を運んできたら怒られてしまうでしょう?(笑)

CONTRAST [インタビュー] 能作 | 伝統は攻めるもの—

たしかに仰るとおりですね(笑)。

能作

それで、お店の売り子さんの「風鈴にしたらカッコいいですよ」というアイデアから風鈴にしたんですよ。つまり仕様を変えただけ。ウチの風鈴の枝が長い理由は、もともとベルだったからということなんです。これが大爆発したことでひとつ分かったことは、今までウチは商品開発の術がなかったんですね。ユーザーとの付き合いがなかったから。

でもユーザーに聞くのではなくて、実際に売っている人に聞くのが手っ取り早かったと。

能作

そうです。それに気が付いて商品開発を始めるんですけど、いかんせん高岡伝統産業の分業セールスのピラミッドにおいて、ウチは素材を問屋さんに渡す生地屋なんですよ。ということは、ウチが直接県外に出ることは問屋さんにとってはマズいことなんですね。彼らにとってウチのことは隠したい存在だから。メーカーと問屋の共存共栄を考えると、今まで扱ってきた商品を直接県外へ出すことはできない。それをしてしまうとパイの取り合いにしかならないので、開発した商品を県外に出すことにしたんですね。それによってウチの技術を見てもらえると、OEMを集められるという意識があったので、商品を増やしていったという背景があるんですよ。

CONTRAST [インタビュー] 能作 | 伝統は攻めるもの—