ちょっと待てよ。池永正二…?
まずはお二人の接点から教えてもらえますか?
池永中学校の同級生なんですよ。
菅尾
中1のクラスメイトで、そもそもの出会いって言うと、たぶん入学式とかですね(笑)。1年だけクラスが一緒だったんです。
どうしてお互いが同じ作品に関わるようになったんですか?
菅尾そもそもこうなったのは、2008年に六本木ヒルズでやった二日間のイベントで、クリウィムバアニーが色々なミュージシャンと共演させてもらう企画をいただいて、初日にあら恋、二日目にcomainu with Jimanicaというセッティングだったんですよ。でも、その時は全然あら恋を知らなかったし、あら恋を正二くんがやってることも知らなくて。
どのタイミングで気付いたんですか?
菅尾そのお話をいただいた後に、晴れ豆(晴れたら空に豆まいて)にライブを観に行ったんですけど、その時も正二くん全然気付かなくて(笑)。後日、ウチのリハーサルを正二くんと映像をやっていたrokapenisが見学に来るということになったんですよ。でも、池永正二という人があら恋をやってることは知らなくて。稽古場にやってきて関西弁でしゃべってるし、「池永正二さんです」って紹介されて、「ちょっと待てよ。池永正二…?」と思ったんですよね。
池永
「キッタカ先生、知ってる?」ってなって。
菅尾
そうそう(笑)。はじめは正二くんも気付いてなかったよね。「私、菅尾なぎさなんだけど」って言っても「?」って感じで。
池永
全然分からへんかった。少ししてから「あー!」ってなったんですよ(笑)。
菅尾
今まで生きてきて、あんなにビックリしたことなんてなくて。
池永
俺も(笑)。
![CONTRAST [インタビュー] クリウィムバアニー | 私のハーレム、私の観たいもの CONTRAST [インタビュー] クリウィムバアニー | 私のハーレム、私の観たいもの](http://con-trast.jp/wp-content/uploads/2011/11/img_dialogue_crewimburnny_1.jpg)
菅尾
お互いがこういうことをやってることも知らなかったし、たぶん、喋ったのも中1以来だよね。あの頃も必要最小限の会話しかなかったんじゃないかな。
池永
うん、そんなに話したことなかったと思う。
ミラクルとしか言いようがないですよね。中学から会ってない人たちが仕事で再会するっていう。
菅尾大阪で会うのならまだしも、東京だもんね。
池永
他に会ってへんもんね。
タカラジェンヌの娘役になりたかった。
菅尾さんが踊ることに興味を持った原体験を教えてもらえますか?
菅尾タカラジェンヌになりたかったんです。中1ぐらいから宝塚音楽学校に入りたくなって、バレエを始めたんですよね。「落ちたら、やだし」と思って、中学ではみんなに内緒にしてました。
宝塚が身近だったんですね。
菅尾私たちの地元は宝塚線っていう路線で、そこの終点が宝塚なんですよ。めちゃめちゃ近いし、遊園地と併設されていて。遊園地を通らないと劇場に入れなかったんですよ。もう遊園地はないけど。
池永
俺は中1の頃しか知らんけど、バレー部やったよね。
菅尾
うん、バレーボール部と習い事でクラシックバレエを。部活はほんとダメダメで、いつまで経ってもレシーブが怖くて。球技ダメなのになんで入ったんだろ…。私の知ってる正二くんは水泳部員だった(笑)。
(笑)。憧れのタカラジェンヌがいたんですか?
菅尾私は単純に娘役になりたかったんです。衣装に惹かれたわけでもないんですけど、単純に歌って踊ってみたかったんだと思う。中3で初めて受けたけど落ちて、これは言い訳にもならないんですけど、ちょうどベルばらブームでものすごい倍率だったんですよ。で、高校に渋々通って、高1でも受けたんですけどダメで。その時に「私、ここは絶対に違う」って思って、ミュージカルをしようと思ったんですね。やっぱり踊ることが好きだったので、バレエ以外にもタップやジャズダンスとかもやり始めて、高校を卒業してからロンドンに留学したんです。
![CONTRAST [インタビュー] クリウィムバアニー | 私のハーレム、私の観たいもの CONTRAST [インタビュー] クリウィムバアニー | 私のハーレム、私の観たいもの](http://con-trast.jp/wp-content/uploads/2011/11/img_dialogue_crewimburnny_2.jpg)
海外を前提に考えていたんですか?
菅尾最初は、宝塚を受けるのをやめるっていうのを母親に話した時に、高校を卒業したら大阪芸大に行こうかなみたいな話をしてたんですよ。
池永
え、そうなんや!俺、大阪芸大やったから。
もしかしたら大学で再会する可能性もあったわけですね。
菅尾かもですね。それで、通ってたダンススタジオに大阪芸大の人が入ってきたことがあって、その人には東京の専門学校を勧められて、東京に出ようかなっていう話を母親にしたら、「東京に出るんだったらニューヨークにでも行けば」って言われたんですよ。大阪を離れるのは同じことだからって。
おぉー、肝の据わったお母さんですね。
菅尾でも、その当時ってニューヨークが治安的に怖かったんですよ。知り合いのアメリカ人に「僕に子どもがいたらニューヨークなんかに絶対行かせない」みたいなことを言われて、当時いたいけな高校生だった私は「じゃあ、ロンドンにしよう」と思ったんです(笑)。それで高2の時に1ヶ月ロンドンに行ってずーっと毎日毎日ミュージカルを観て、なんだかロンドンのどんよりした感じとかも気に入ってしまって。それで卒業したらロンドンに行こうと思ったんですよ。向こうで語学学校に行きながら、学校のオーディションを受けて専門学校的なところに通うようになりましたね。
ロンドンでコンテンポラリーダンスに傾倒するようになるんですか?
菅尾通ってたのは専門学校的なところでコンテンポラリーのクラスもあったんですけど、私はそもそもジャズから入ってるので、なんのことかさっぱり分からなくて、しかも全然不得意でわりとジャズ寄りにやってたんですよ。ジャズとかコンテンポラリーだったり、歌も芝居もやりましたね。朝から晩まで踊るか歌うかみたいな。全然学べないまま帰ってきたんですけど(苦笑)。
ってことは、帰国してから?
菅尾そうですね。向こうから帰ってきて半年くらい大阪にいて、やっぱりロンドンに戻ろうと思ったんですよ。でも、ロンドンの学校で一緒だった子がイデビアン・クルーのメンバーで、その時にイデビアンの東京公演を観に行ったら、それがすごく良かったんですよね。
どんな部分が刺さったんですか?
菅尾私は当時から作品を作り出したりしてたんですけど、イデビアンの井手さん(井手茂太)は私がやってみたいと思ってたことをかたちにしてる人だなって思ったんですよね。観ていてもすごく爽快で気持ちよくて。私はロンドンにいたっていうのもあるので、ダンスって欧米から発祥してるから、どうしても日本の文化として考えていなくて、その上コンテンポラリーダンスのことも全然知らなかったから、「あ、日本にいても大丈夫なんだ」って思えたんですよね。それがきっかけで東京に出てくることにしたんです。
池永正二
大岩 Larry 正志
Luca Gabino
SNACKS