CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] 私のハーレム、私の観たいもの

私のハーレム、私の観たいもの

クリウィムバアニー(プロフィール)

クリウィムバアニー

プロフィール クリウィムバアニー
クリウィム・バアニー主宰。イデビアン・クルーのクルー。踊り子。振付け人。99年より自身主宰のカンパニーでの活動をはじめる。同年イデビアン・クルー公演『コッペリア』に出演し、現在までほぼ全ての作品に参加。ダンスユニットやソロでの活動も経て、2005年に女性だけのカンパニー「クリウィムバアニー」をたちあげ、08年、第 15回ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバルにおいて『贅沢ラム』を好演。09年にJUNRAY DANCE CHANG『アオイロ劇場』にASA-CHANGと共に総合演出を手がけた。リアルでフィクション、スタイル/カルチャーでは語りつくせない視覚感覚で観客を魅了し、からだのうごきの妙と演出て特異な世界観をうみだしている。

クリウィムバアニー
女体の動きを妄想的視点(=男子)およびラブリー視点の両極から捉え、果てなく行き違う2つのベクトルの交錯点ある夢と現実と虚無をポップに描き出す。個々のもつ女体独自の動きやしぐさ、毒味などをちりばめ、無防備に舞っては時にだらりとした空気感を醸し出し、瞬く間に観るものをクリウィムワールドへと引き込み、現在中毒者蔓延中。
クリウィムバアニー ウェブサイト



菅尾なぎさ 池永正二

池永正二(あらかじめ決められた恋人たちへ)
1976年生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。トラックメーカー/作曲家/鍵盤ハーモニカ奏者。作曲活動と並行して、叙情派エレクトロ・ダブ・ユニット・あらかじめ決められた恋人たちへや、京都の吟遊詩人ゆーきゃんとのユニット「シグナレス」等で活動。「あらかじめ決められた恋人たちへ」のリミックスを含む過去作品は池永正二のソロ音源にあたる。映像学科卒ということに加え、アングラ出身からくる独特のアイデアと曲調は他に類をみない抜群のセンスを発揮している。また、鍵盤ハーモニカによる「場を一変させる」哀愁のメロディにも定評がある。
あらかじめ決められた恋人たちへ ウェブサイト

女性のみで構成されるクリウィムバアニーというダンスカンパニーをご存知だろうか。シアター以外での場所を中心に、具体的には六本木ヒルズのような商業施設やギャラリー、飲食店、さらにはバンドの対バンとしてライブハウスなどでもパフォーマンスを繰り広げてきた。また、あらかじめ決められた恋人たちへをはじめ、ミュージシャンとの共演も積極的に行なっており、異ジャンルとの化学反応を楽しんでいる。言わば、クリウィムバアニーは彼女たちにとって超アウェイな環境で、自らの実験的かつ不思議な世界観のクリエイションを発信し続ける、オルタナティブな集団なのだ。

彼女たちの最新公演『がムだムどムどム』が11月25日から世田谷パブリックシアターにて行なわれるのだが、その一つのトピックとして、舞台音楽家の一人としてあら恋の池永正二が楽曲を提供している。先にも挙げたとおり、これまでにもクリウィムバアニーとあら恋が共演したり、クリウィムバアニー主宰・菅尾なぎさの単独公演で池永と共演する機会もあった。一見すると、今回のタッグもこれまでの流れの上に置かれているように思えるが、実は菅尾と池永には奇跡としか言い様のない経緯があるのだ。その冒頭で語られている二人の間柄をはじめ、お互いのプロジェクトへの印象、共感接点、それぞれの哲学や美学について語り合う。

Text by Shota Kato Photo by Toshihiko Shirai

ちょっと待てよ。池永正二…?

まずはお二人の接点から教えてもらえますか?

池永

中学校の同級生なんですよ。


菅尾

中1のクラスメイトで、そもそもの出会いって言うと、たぶん入学式とかですね(笑)。1年だけクラスが一緒だったんです。

どうしてお互いが同じ作品に関わるようになったんですか?

菅尾

そもそもこうなったのは、2008年に六本木ヒルズでやった二日間のイベントで、クリウィムバアニーが色々なミュージシャンと共演させてもらう企画をいただいて、初日にあら恋、二日目にcomainu with Jimanicaというセッティングだったんですよ。でも、その時は全然あら恋を知らなかったし、あら恋を正二くんがやってることも知らなくて。

どのタイミングで気付いたんですか?

菅尾

そのお話をいただいた後に、晴れ豆(晴れたら空に豆まいて)にライブを観に行ったんですけど、その時も正二くん全然気付かなくて(笑)。後日、ウチのリハーサルを正二くんと映像をやっていたrokapenisが見学に来るということになったんですよ。でも、池永正二という人があら恋をやってることは知らなくて。稽古場にやってきて関西弁でしゃべってるし、「池永正二さんです」って紹介されて、「ちょっと待てよ。池永正二…?」と思ったんですよね。


池永

「キッタカ先生、知ってる?」ってなって。


菅尾

そうそう(笑)。はじめは正二くんも気付いてなかったよね。「私、菅尾なぎさなんだけど」って言っても「?」って感じで。


池永

全然分からへんかった。少ししてから「あー!」ってなったんですよ(笑)。


菅尾

今まで生きてきて、あんなにビックリしたことなんてなくて。


池永

俺も(笑)。

CONTRAST [インタビュー] クリウィムバアニー | 私のハーレム、私の観たいもの


菅尾

お互いがこういうことをやってることも知らなかったし、たぶん、喋ったのも中1以来だよね。あの頃も必要最小限の会話しかなかったんじゃないかな。


池永

うん、そんなに話したことなかったと思う。

ミラクルとしか言いようがないですよね。中学から会ってない人たちが仕事で再会するっていう。

菅尾

大阪で会うのならまだしも、東京だもんね。


池永

他に会ってへんもんね。

タカラジェンヌの娘役になりたかった。

菅尾さんが踊ることに興味を持った原体験を教えてもらえますか?

菅尾

タカラジェンヌになりたかったんです。中1ぐらいから宝塚音楽学校に入りたくなって、バレエを始めたんですよね。「落ちたら、やだし」と思って、中学ではみんなに内緒にしてました。

宝塚が身近だったんですね。

菅尾

私たちの地元は宝塚線っていう路線で、そこの終点が宝塚なんですよ。めちゃめちゃ近いし、遊園地と併設されていて。遊園地を通らないと劇場に入れなかったんですよ。もう遊園地はないけど。


池永

俺は中1の頃しか知らんけど、バレー部やったよね。


菅尾

うん、バレーボール部と習い事でクラシックバレエを。部活はほんとダメダメで、いつまで経ってもレシーブが怖くて。球技ダメなのになんで入ったんだろ…。私の知ってる正二くんは水泳部員だった(笑)。

(笑)。憧れのタカラジェンヌがいたんですか?

菅尾

私は単純に娘役になりたかったんです。衣装に惹かれたわけでもないんですけど、単純に歌って踊ってみたかったんだと思う。中3で初めて受けたけど落ちて、これは言い訳にもならないんですけど、ちょうどベルばらブームでものすごい倍率だったんですよ。で、高校に渋々通って、高1でも受けたんですけどダメで。その時に「私、ここは絶対に違う」って思って、ミュージカルをしようと思ったんですね。やっぱり踊ることが好きだったので、バレエ以外にもタップやジャズダンスとかもやり始めて、高校を卒業してからロンドンに留学したんです。

CONTRAST [インタビュー] クリウィムバアニー | 私のハーレム、私の観たいもの

海外を前提に考えていたんですか?

菅尾

最初は、宝塚を受けるのをやめるっていうのを母親に話した時に、高校を卒業したら大阪芸大に行こうかなみたいな話をしてたんですよ。


池永

え、そうなんや!俺、大阪芸大やったから。

もしかしたら大学で再会する可能性もあったわけですね。

菅尾

かもですね。それで、通ってたダンススタジオに大阪芸大の人が入ってきたことがあって、その人には東京の専門学校を勧められて、東京に出ようかなっていう話を母親にしたら、「東京に出るんだったらニューヨークにでも行けば」って言われたんですよ。大阪を離れるのは同じことだからって。

おぉー、肝の据わったお母さんですね。

菅尾

でも、その当時ってニューヨークが治安的に怖かったんですよ。知り合いのアメリカ人に「僕に子どもがいたらニューヨークなんかに絶対行かせない」みたいなことを言われて、当時いたいけな高校生だった私は「じゃあ、ロンドンにしよう」と思ったんです(笑)。それで高2の時に1ヶ月ロンドンに行ってずーっと毎日毎日ミュージカルを観て、なんだかロンドンのどんよりした感じとかも気に入ってしまって。それで卒業したらロンドンに行こうと思ったんですよ。向こうで語学学校に行きながら、学校のオーディションを受けて専門学校的なところに通うようになりましたね。

ロンドンでコンテンポラリーダンスに傾倒するようになるんですか?

菅尾

通ってたのは専門学校的なところでコンテンポラリーのクラスもあったんですけど、私はそもそもジャズから入ってるので、なんのことかさっぱり分からなくて、しかも全然不得意でわりとジャズ寄りにやってたんですよ。ジャズとかコンテンポラリーだったり、歌も芝居もやりましたね。朝から晩まで踊るか歌うかみたいな。全然学べないまま帰ってきたんですけど(苦笑)。

ってことは、帰国してから?

菅尾

そうですね。向こうから帰ってきて半年くらい大阪にいて、やっぱりロンドンに戻ろうと思ったんですよ。でも、ロンドンの学校で一緒だった子がイデビアン・クルーのメンバーで、その時にイデビアンの東京公演を観に行ったら、それがすごく良かったんですよね。

どんな部分が刺さったんですか?

菅尾

私は当時から作品を作り出したりしてたんですけど、イデビアンの井手さん(井手茂太)は私がやってみたいと思ってたことをかたちにしてる人だなって思ったんですよね。観ていてもすごく爽快で気持ちよくて。私はロンドンにいたっていうのもあるので、ダンスって欧米から発祥してるから、どうしても日本の文化として考えていなくて、その上コンテンポラリーダンスのことも全然知らなかったから、「あ、日本にいても大丈夫なんだ」って思えたんですよね。それがきっかけで東京に出てくることにしたんです。

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