CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] あの時代あってこその今—後編

あの時代あってこその今—後編

サイトウ”JxJx”ジュン(プロフィール)

サイトウ”JxJx”ジュン

プロフィール サイトウ”JxJx”ジュン
YOUR SONG IS GOOD オルガン / リーダーその他モロモロ。SPACE SHOWER TV『スペシャエリア』(毎週水曜19:00~21:00)メインVJを担当。MIX CD『JxJx presents EAST NAKANO DISCO PLATE vol.1』が局地的に話題を集めている。

YOUR SONG IS GOOD(ユアソングイズグッド)
1998年1月結成。サイトウ "ジェイジェイ" ジュン(Org / Vo)、ヨシザワ "モ~リス" マサトモ(Gt)、シライシ "シライシ" コウジ(Gt)、タナカ "ズィ~レイ" レイジ(Dr)、タカダ "ダ~タカ" ヒロユキ(Ba)、ハットリ "ショ~ティ" ヤスヒコ(Tb)から成る、激烈で雑多なダンスミュージックを無礼講な演奏でフロアとお茶の間に投下しまくる6人組。 メロウでハード、それでいてハートに響く激烈なライブは各地で大絶賛中である。最新作は2011年10月12日リリースのベストアルバム『BEST』。『YOUR SONG IS GOOD BEST TOUR』も10月22日札幌からSTART。

YOUR SONG IS GOODのBLOG
カクバリズム ウェブサイト

FMブランニューウェイヴ、宝島などから受けたサブカルチャーの洗礼。パンクをはじめ、音楽に造詣の深すぎる友人たちから投下されるマニアックかつ最高の音楽情報。サイトウ”JxJx”ジュンは、膨大な情報量を自身の血肉に変えてきた。

音楽の原体験を語ってくれた前編に続く後編インタビューは、学生時代以降、つまりFRUITYやSCHOOL JACKETS、初期YOUR SONG IS GOODのエピソードが中心になっている。JxJxがバンドマンとしての礎を築いてきた時代のエピソードだけに、JxJxは自身の活動だけでなく、当時のパンクシーンの特徴やそこに根付いていたカルチャーを、彼の視点でこと細やかに紹介してくれた。

YOUR SONG IS GOODのファンや彼らに興味を持つ人達に向けては、バンドの歴史を押さえる上で大切な文献になるだろうし、CONTRASTに登場するエモやハードコア、ポストロックなどのミュージシャンのファンにとっては、彼らの活動してきた90年代半ばから後期の空気感を知るための重要なアーカイブとなるだろう。

それでは、後編インタビューを始めましょう。

Text by Shota Kato Photo by WYPAX

スタジオライブシーンは「disk unionにまでキレてるらしいぞ」と(笑)。

前半は大学時代に初めて組んだバンドまでのお話でした。

JxJx

フライング・ヨガ・テンフィートですね。

活動期間はどれくらいでした?

JxJx

短かったですね。突然「The Metersとかもやらない?」みたいに、ロックだけじゃなくて、いきなりファンキーなことやったりとか、興味のあるものをどんどんやっていくという感じで、とにかく楽器を弾くのが楽しかったんですよね。で、大学3年の頃にはDISCO MANっていうバンドでオリジナルを作り始めるんですよ。大倉君が新しいバンドをやろうとしていて、「ポップグループみたいなバンドをやりたいんだけど」という話だったんで「じゃあ俺ドラム叩こうか」なんて言っちゃって。当時、自分はドラムを叩いてたんですよね。

FRUITYはどんなことから始まるんでしょう。

JxJx

DISCOMANが空中分解して、とりあえず大倉君と「スタジオ入ろうか」って適当に遊んでたら、何気なく大倉君がエイトビートのベースを弾いていて、珍しいなと思ったんですよね。ポップグループ的なひねくれたファンクって感じじゃなくて、えらいキャッチーなフレーズで「それ何?」って聞いたら、「高校の時に作った曲なんだよね」って教えてくれて。その雰囲気がイーストベイのポップパンクバンド的だったというか、もうCRIMPSHRINEそのものだったので「こういうアイデアがあるんだけど、OPERATION IVYっていうバンドがいてさ」というやりとりを自分が持ちかけて、なんとなく始まったのがFRUITYなんですよ。それが94年の暮れだったかな。

改めて、FRUITYがどんなバンドだったのか教えてもらえますか?

JxJx

やっていた音楽はパンクスカ、スカパンク、スカコアって説明するのが一番分かりやすいかもしれないですけど、完全にそこからハミ出たバンドですよね。OPERATION IVYを参考に色んな音楽、例えばソウルだったり、それこそシュガー・ベイブのノリをブチ込んでみたりというか、やりたい放題やってました。ちなみに、世代的にFRUITYは当時23歳くらいで、よく一緒にライブをやらせてもらってたバンドでザックリと同世代って言うと、SPROCKET WHEEL、LIFE BALL、HUSKING BEE、SHERBET、GREEN GIANT、OATMEAL、SCREAMING FATRAT、BACK DROP BOMBSCAFULL KINGRUDE BONES、そしてOACなどなどって感じですかね。

CONTRAST [インタビュー] サイトウ”JxJx”ジュン | あの時代あってこその今 —後編—

今挙げてもらったバンドの中で、FRUITYは異色だったんじゃないですか?

JxJx

その中では確かにちょっと変わった立ち位置でしたね。今挙げたバンドによっては、後にAIR JAM世代って感じですごい成功を収めるバンドも沢山いましたけど、その後の我々の辿った道を考えるとそうですね。FRUITYは当時の同世代のバンドのリリースが連発されていたSNUFFY SMILEじゃなくて、LESS THAN TVからのリリースだったっていうのも今考えると面白いところなんですが、もともとU.G. MANから相当な影響を受けていたんで、それは自分にとって最高のストーリーって感じでした。ありがたいことにそこで諸先輩方からLESS THAN TV流儀のパンクハードコア感を説いてもらいつつ、同世代のパンク、スカのバンドとも仲良くしていたっていう特殊な感じで。それでいて、各方面から誘ってもらったオムニバスにはほとんど新曲で参加するっていう謎な活動をしていました(笑)。

(笑)。ジャンルしかり色々なバンドとの交流があったんですね。

JxJx

そうですね。色々な人と仲良くなっていく中で、BREAKfASTのメンバーだった岡君(現JOHNS TOWN ALOHA)が当時LESS TALK MORE ROCKをやっていた頃ですかね。彼と仲良くなって頻繁に情報交換という名の世間話をよくしていたんですが、どうやらスタジオライブという動きをしているバンド達がいることを知るんですよ。「なんかかなり怒ってるらしいぞ」と(笑)。

どういうことですか?

JxJx

ものすごくDIYにこだわっているという情報がまず入ってきて、そんな中「disk unionにまでキレてるらしい」という話が耳に入ってくるんですよ(笑)。「マジか?!それはどういうことなんだ…」と思って。「disk unionにまでキレてるらしい」っていう言い方はずいぶんと突飛な感じで、自分の中でも盛り上がりすぎて色々と曲解されていたんだとは思うんですけど、ハードコアという概念からすれば、「ユニオンはビッグカンパニーだしなぁ〜、なるほどな〜。ならば、そんなシーンは一度覗いてみたいな」と、それはそれは自分を惹き付けるには十分すぎるくらいの情報でしたね。

YouTubeにFRUITYのスタジオライブ映像が上がってますよね。

JxJx

あれは図らずも、です(笑)。スタジオライブを意識していたというよりは、あの『1996 生』というビデオのコンセプトが「地方でライブがなかなか見れないお客さんのためにライブビデオを作ろう」ということだったんですよ。で、僕らはすごくひねくれたバンドだったんで、普通にライブをやっても面白くないから、スタジオにレスザンの谷さんとか、首謀者であるスプロケのシモ君とか友達とか、ライブによく来て騒いでいたアメリカンスクールのガキんちょ達を集めたら、あんな雰囲気になったっていう(笑)。

あのビデオにはそんな経緯があったんですね(笑)。スタジオライブって、どんなことから始まった文化なんですか?

JxJx

僕が聞いたのは、BLEWのカワセ君(現SOON)がやっていたDRIVING BOXというバンドが最初にやったらしいという話ですね。たしか、新宿のオンエアースタジオの最上階のスタジオでやったんだと思います。やっぱり海外のDIYシーンの影響というか、既存のライブハウスじゃなくて、コミュニティセンターや学校とか、友達の家でやるような考えにヒントを得て始まったような気がしてますけどね。大雑把な言い方になってしまいますが、やっぱり90年代後半からのAIR JAMの成功に象徴されるような流れに逆らったモノというか、「こういうやり方もあるだろ!」っていう、もう一つの考えの提示だったのかなと僕は思ってます。

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なるほど。

JxJx

例えば、ライブハウスでライブをするのにはノルマってのがあって、これがキツかった。で、スタジオライブはもっと小さい経済的リスクで企画が打てたっていうのが僕にとってはかなり魅力的でした。数ある幾つかの理由の一つだと思いますけど。あと余談なんですが、それより数年前にNOFXが初来日した時に代々木のNOAHでやったらしいんですよ。

おぉ、意外なバンド名が出てきましたね。

JxJx

僕は後にワルシャワというレコ屋でバイトをするんですけど、そこで対バンしていたのが、バイトの先輩だったコウタ君がやっていたAPOOというバンドで。リハーサルスタジオでライブをやったという話を聞いたのはそれが最初なんですが、当時を思い出すとスタジオライブ云々という部分に関しては全く気にならなくて、むしろ「NOFXが来たのに観に行けなくて残念だな」という気持ちだけが先行してました(笑)。もしかしたら、スタジオライブという形態自体はもっと前から全然あったような気もしますけどね。いずれにしても、意図を持ってやったのはカワセ君が最初なんだと思いますよ。

スタジオライブをやるバンドの音楽ってどんな特徴があったんでしょう?

JxJx

特徴、そうですね。自分の知る限りは97年あたりはハードコア、それもいわゆるエモ系のバンドが多かった印象がありますね。そうじゃないバンドももちろんいましたが、やっぱり代表的なところで言うと、僕の中でも大きいバンドはSWIPEかな。後のTHERE IS A LIGHT THAT NEVER GOES OUTですね。

MISSION UNDONEを読んで、新しい何かが起きていることを感じた。

初めて観に行ったスタジオライブはどうでしたか?

JxJx

それはそれは衝撃でしたよ。最初は100 LOTSか、もしくはSWIPEを観に行ったような気がしますね。

どんなリハーサルスタジオが使われていたんでしょう?

JxJx

僕がよく観に行っていた頃は、新宿オンエアースタジオ、目黒MOD に中野MOD、大塚BOON、三茶NOAH、南大沢、明大前キッドアイラックホールとかですかね。やれる場所をバンドが独自に見つけてくるってスタイルだったと思います。チケットの値段はだいたい500円でした。それまでのライブハウスでのライブとは全然違った雰囲気ですよね。ステージはないからフラットでバンドを取り囲む感じで。あと蛍光灯で明るいってのがまた独特の空気を生み出すというか。その分、お客さん側にも妙な緊張感が生まれてましたね。入れる人数も限られてるので、「あの人今日も来てるな」なんて感じで、だんだん仲良くなっていくノリもありましたし。COMEBACK MY DAUGHTERSのゴローちゃんなんてまさにそんな関係でした(笑)。それから個人でレコードを売りに来てる人もいたりして、その辺のノリも非常に面白いというか。

いわゆるディストロですね。

JxJx

そうです、そうです。観終わった後にその場で皆でレコードやファンジンを買っていたんですよ。海外のレーベルからダイレクトに仕入れてるから安いし、他所で売ってないモノだらけで。僕はSWIPEの魚頭君(魚頭圭 / Z / AS MEIAS)からよく買ってましたね(笑)。

ファンジンも当時を象るカルチャーの一つですよね。

JxJx

沢山作られていて、かなり熱かったですね。そんな中MISSION UNDONEは強烈でした。安藤直紀さんという人が中心で、envyのテツ君も参加してましたね。今でも家にあります。BLIND JUSTICEがenvyになって、ちょっと話がまた遡るんですが、BLIND JUSTICEとWISE UPのライブを昔観ていたので、両バンドが進化を遂げているのが、このジンを読む限りビンビン伝わってきたんですよね。ちょうどenvyのインタビューも載っていて、何か新しいことが起きてるということをすごく感じました。7インチと合体している号もあって、それがまた傑作でしたね。

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envyやWISE UPの変化は何がきっかけだったんですか?

JxJx

当事者ではないので実際のところは分からないですけど、そこに載っていたenvyのインタビューを読むと、当時のパンクHCのシーンがどんどんコマーシャルな方向に向かっていたことに関する言及がなされていましたね。そういったところからも、この辺りがちょうど色々と別れ道だったのかなと思います。あくまで当時の図式としてですけどね。それとテツ君たちが、アメリカでゴリータ・フェスっていうパンクDIYのフェスティバルを観に行ったレポートが載ってましたが、そういう情報に触発されたバンドもいるんじゃないですかね。すごく面白いレポートでしたし、そんな情報はどこにも載ってなかったですから。僕はものすごくワクワクしながら読んでましたね。ちなみにenvy自体はスタジオライブはやっていなくて、さらに独自な活動をしていたと思います。

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またFUGAZIとは違いますけど、envyもenvyだと。

JxJx

ですね。ちょうどFRUITYと入れ違いでやっていたSCHOOL JACKETSで初めて対バンしたんです。たしかGAMEFACEの来日公演で、GAMEFACEは諸事情で来れなかったんだけど、予定通りライブはやったんですよ。そこでenvyと仲良くなったんですよね。で、実際にenvyの凄まじいライブを観て「これは今までに見たことのないハードコアだな」と思いました。僕は80年代のハードコアを個人的に追いかけていたんですけど、これからはもっと現在進行形のバンドを追っかけてみようと思ったのはenvyがきっかけでした。そういえば、この前のフジロックで久々に一緒になって「今度一緒にライブやろうよ」っていう話をしたんですけど、お互いのお客さんが困るだろうなっていう(笑)。でも、そういうのが最高ですよね。実現させたいなぁ。
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