CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] 笑いを崇高なものに。

笑いを崇高なものに。

浜野謙太(プロフィール)

浜野謙太

プロフィール 浜野謙太
1981年生まれ。トロンボーン奏者としてSAKEROCK, Newdayに所属。在日ファンクではボーカルとリーダーを務める。SAKEROCKの最新作は『MUDA』(カクバリズム)、Newdayは『It's a Newday』(compare notes)を発表。2011年9月7日に、在日ファンクの2ndフルアルバム『爆弾こわい』(P-VINE)をリリース。近年は音楽活動に留まらず、俳優業でも活躍。コミカルかつ強烈なキャラクターに注目が集まり、ドラマ『モテキ』(テレビ東京)、映画『婚前特急』(2011年、前田弘二)、『少年メリケンサック』(2009年、宮藤官九郎)、『ハチミツとクローバー』(2006年、高田雅博)などに出演。

http://sakerock.com/
http://zainichifunk.com/
http://newday.sunnyday.jp/

30歳という年齢について、年長者は「まだまだ」と言ってのける。それでも、迎える当事者にとっては身の引き締まる思いがする節目の年齢だ。人生の折り返し地点に差し迫った感覚すら覚えてしまう。

ハマケンこと浜野謙太もその節目の歳を迎えた一人。SAKEROCKや在日ファンク等での音楽活動以外に、今や俳優としてドラマや映画に進出しているのは皆さんもご存知のことだろう。『笑っていいとも』や『めざましテレビ』、『グータンヌーボ』などに出演してしまった!ことからも、彼の強烈なキャラクターに注目が集まっているのは、誰が見ても分かる状況だ。他の媒体でも言及されているように、全国的なブレイクへの発射台に乗っかっている。これから、浜野謙太の名前を目にする機会はもっと増えるに違いない。

そんなハマケンのキャラクターはどのように育まれてきたのか。今回のインタビューでは、彼の学生時代のエピソードを中心に語ってもらった。また、今置かれている状況に対してどのように感じているのか、その胸の内も語ってくれているので、ぜひ彼のスタンスを知ってもらえる機会になればと思う。

取材協力:名曲・珈琲 らんぶる

Text by Shota Kato Photo by Daisuke Taguchi

バンドとか映画とかの醍醐味を味わってる気がする。

僕、同い年なんですよ。

浜野

本当ですか!でも、なんとなく分かりますよね。

浜野さん、8月5日で30歳になりましたよね。おめでとうございます。

浜野

ありがとうございます。

改めて、同年代で勢いのある男が目の前にいるんだなと。

浜野

いやいや(笑)。他って誰がいるんですか?

実は調べてみたんですよ。同年代で言うと、柴崎コウさんと誕生日が一緒みたいですね。

浜野

え?マジですか!うわぁ、超嬉しいな、柴崎コウ…。

(笑)。なぜか、僕は同い年だと安達祐実さんを連想してしまうんですよ。

浜野

それ分かりますね。僕も安達祐実が同い年だってことは知ってるんですよ。

CONTRAST [インタビュー] 浜野謙太 | 笑いを崇高なものに。

『家なき子』世代ですからね(笑)。他には、嵐の桜井翔さん、向井理さん、及川奈央さん(!)とか、まだまだいますね。全部ウィキペディア調べですけど(笑)。

浜野

皆すごいですね…。あ、有名人だから、そりゃそうですよね(笑)。

(笑)。驚いたのは、ビヨンセとナタリー・ポートマン、ブリトニー・スピアーズも僕らとタメらしいんですよ。

浜野

うわぁ、それアツイっすね!

30歳を迎えたときの心境ってどうでした?

浜野

ひたすら30っていう重みがありますよね。あと、人生の折り返し地点と言ってもいいじゃないですか。ここ何年かの間で自分は良い形で働けているんだと思うんですけど、もっとパワフルに過ごさないとなって思いましたね。30にもなると若いとも言われないし、今まで「かわいい」みたいなことも言われてましたけど、そういうわけにもいかないし。もっとはっちゃけてもいいかなとは密かに思ってるんですよ。

CONTRAST [インタビュー] 浜野謙太 | 笑いを崇高なものに。

いいですねぇ。ネガティブな気持ちはなかったんですね。

浜野

誰かから、実は30代の人たちが世の中を動かしてるっていう話を聞いたことがあって。30代は目立たないように見えるかもしれないけど、実権を握っているというか。だから、老いたという意味じゃなくて、「担っていかなきゃ、いきたい」という気持ちがありますね。『婚前特急』に出させていただいた時に、警官役の俳優さんから「浜野さんの今回の役、すごく良いですね」って言われて。「良いきっかけになると思います。男は29歳から変わりますから」とも言ってくれたんですよ。

それを聞いて実際にどうですか?

浜野

バンドとか映画とか、「こういう仕組みの中でここが面白いんだ」っていう醍醐味を、僕は味わってる気がするんですよね。

どんな部分に醍醐味を見出すようになりました?

浜野

なんていうか、すごいリスクを背負って、人を笑わせるだけのものを作っているんですよね。一つの笑いを得るために人生を懸けているんだなって。それが重みになるようだと人生つまらないだろうけど、面白みを見出せるようになったら超楽しいですよ。

親に模範解答をしなきゃいけないって思ってた。

今回は、浜野さんのキャラクターのベースを探りたいなと思っていて。そのヒントが高校時代にあるのかなと思っているんですね。たしか、浜野さんは埼玉県の自由の森学園出身でしたよね。

浜野

そうですね。神奈川の実家からも通えたんですけど、僕は寮に入ったんですよ。

自由の森学園って一般の高校とは違うんですよね。

浜野

自由の森学園はアンチ序列教育の人たちが集まるんです。「今の学校のシステムはおかしいんじゃないか?」っていうポリシーを持った子どもたちが集まって、自分たちが思う学校像を作る学校というか。

浜野さんも学校に不満を持っていたから入学しようと思ったんですか?

浜野

僕は高校受験の時に、学区内の無難な高校を受けるってなんとなく決めてたんですよ。偏差値的に上から2番目の高校には行けたと思うんですけど、ちょっと目線を落として4番目の高校を受けようと思ったんですよね。入学してからもそこでトップの方に居続ければ、大学に推薦入学できるからっていう助言をもらって「それ良いっすね」って(笑)。

CONTRAST [インタビュー] 浜野謙太 | 笑いを崇高なものに。

どこで心変わりがあったんですか?

浜野

幼なじみの女の子がいるんですけど、その子が自由な校風の学校を受けるって話してくれて。社交辞令で「面白そうだね。今度、資料とか見せてよ」なんて言ったら、住んでた団地でその子のお母さんはカリスマ的なお母さんで、それがウチのお母さんの耳にも入って。「謙太は序列教育へのアンチテーゼを掲げる高校に入りたい意志を持っている。親としては大学に進学してほしいけど、ここは謙太の意志を汲み取って、その学校に行かせてみよう」なんていう話になってて、親に火が点いちゃったんですよ(笑)。

まさかのお母さんから(笑)。

浜野

(笑)。その後に自由の森学園の『音楽祭』を観に行ったんです。そこで特に感動したわけではないんですが、親に「良いわよね」なんて言われたら「最高だよな」って言うしかないじゃないですか(笑)。模範解答をしなきゃいけないって思ってたんですよね。それで、そのまま自由の森学園に入っちゃって。

じゃあ、引くにも引けなくなって入学したんですね(笑)。

浜野

惰性なんですよね。自由の森学園に入学する寸前に初めての彼女が出来たんですよ。大好きだったから、会うために何回も地元に帰って。でも、何ヶ月か経った後にふられてしまって。その失恋の悲しさが大きくて、地元をシャットアウトしたっていう(笑)。その彼女は結婚して子どもも産んで、地元で暮らしてるんですけどね。

入学して早々に痛手を負ったんですね。どんな学生生活でしたか?

浜野

行事が盛んな学校で、学園祭も音楽祭も自主的に自分たちでやるんですよ。例えば、学校の中でなんとかライブみたいなものにバンドがいっぱい集まって、勝手に人気者になって、モテてみたいな。一つの世界のようなものがあったんですよね。なんか、一般の高校よりも結びつきが強いというか、大学に近いんですよ。

CONTRAST [インタビュー] 浜野謙太 | 笑いを崇高なものに。

修学旅行とかも面白そう。

浜野

帆船を自分たちで動かして、八丈島まで行って帰ってくるプランがあって。

帆船って、あの帆だけの船ってことですよね?

浜野

そうそう。嵐の時に帆の一番上に登って、帆を広げたり畳んだりとか、昔の人の航海術で八丈島まで行って帰って来る修学旅行でしたね。だから超危なかったですよ。

うわ!なんだか、一般の高校と比べて、青春の濃度みたいなものが高そうな感じがしますね。

浜野

なかなか外の価値観を入れる機会がないんですよね。僕も有志でライブや演劇、コントみたいな表現活動をやっていて、けっこう人気者になったんです。個性的な人たちが集まる中で、自分は最高峰にいるみたいな自負もあったかもしれないですね。「自分は変わってるんじゃないか」みたいな気持ちも。地元に帰った時に、地元の友達に対する偏見みたいなものはありましたけど、卒業してみると、「結局は、抱えてる問題ってこいつらとあまり変わらないんじゃねえか?」っていうことに直面するんですよね。

人気者の階段をシードで上がったみたいな感じでした(笑)。

バンドを始めたのも高校時代からですか?

浜野

そうですね。巷ではメロコアやスカコアが流行ってたと思うんですけど、「ちょっと早いぞ」みたいな自負はありましたよね。やっぱり変わった人たちが多いから、中には音楽をいっぱい聴いてる奴もいて、他の学校よりもセンスの良い音楽を聴いてるような。

まさにAIR JAM世代でしたよね。

浜野

僕らの周りではSCAFULL KINGがすごい人気でしたね。他の学校だとスキャフルは難しすぎてやらないんですよ。でも、自由の森学園はけっこう楽器をやってるから、たぶんちょっと上手かったんですよね。スキャフルのコピーをやってるバンドがあって、僕もトロンボーンで入ってたんですよ。

管楽器ありのスキャフルのコピーバンドはすごいですね!

浜野

僕は吹奏楽部上がりだったから、割と上手くできたんですよ。八王子のライブハウスのイベントに出た時に「スキャフルやるなんてすげえよ!」なんて言われて、鼻高々になったこともあって(笑)。スカがすごく流行ってたけど、管楽器をやれる人って少なかったんです。だからトロンボーンができるやつは重宝されて。人気者の階段をシードで上がったみたいな感じでした(笑)。

CONTRAST [インタビュー] 浜野謙太 | 笑いを崇高なものに。

一回戦は免除されたと(笑)。

浜野

あ、どんどん思い出してきましたよ(笑)。高校内の人気者の人たちのバンドでトロンボーンを吹かせてもらったことで「あいつ誰だ?!」みたいなことになって。自分のことを完全にロックスターだと勘違いしましたよね、それからは(笑)。友達にも「あんな先輩たちとバンドできて、お前すげえな!」とか言われて。なぜか一段上のところにいたんですよね。

そのバンドにはSAKEROCKのメンバーはいなかったんですか?

浜野

不思議なことに、SAKEROCKは卒業してからなんですよね。

じゃあ、高校の時はメンバーの皆さんとは交流がなかった?

浜野

星野くん(星野源)とはコントみたいなものをやってたんですよ、ちょっとしかやってなかったんですけど。星野くんとはコントが始まりだったんですよね。でも、星野くんは高校の時はあまり目立ってなかったし、田中くん(田中馨)はヒップホップ方面の人で、おれ一番メジャーでしたよ。童貞でしたけどね(笑)。高3のときに童貞を喪失しました(祝)。