CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] 枠を飛び越えたスタイルを求めて

枠を飛び越えたスタイルを求めて

NORIKIYO(プロフィール)

NORIKIYO

プロフィール NORIKIYO
SAG DOWN POSSE(相模腰履自警団)、SD JUNKSTA、諭吉レコード所属。通称”相模の眼鏡”。
2007年の1stアルバム『EXIT』は、その年に行われたアワードで軒並み年間ベストアルバムを受賞し一躍シーンの最前線に躍り出る。BACHLOGICが全曲をプロデュースした2008年の2nd『OUTLET BLUES』も大きな話題を呼ぶ。前作OUTLET BLUESのリリース後、約3年の沈黙を破って2011年6月10日に3rd Album『メランコリック現代』をリリースした。

http://www.sdp-228.com/

1st、2ndアルバムにおいてストリートのリアルを卓越したスキルでパッケージングし、日本語ラップ界隈での確固たる地位を築いたNORIKIYO。最新作のアルバム『メランコリック現代』、シングル『言い訳』に触れたとき、今までの作品とは違い、ストリートのリアルを綴ったものではなく、ある種内省的な印象を受けた。それは新しく、刺激的な内容。作品に対する詳細なインタビューは、Amebreakや、ブレス式musicshelfにお任せするとして、CONTRASTではヒップホップとの出会い、1stアルバムから3rdアルバムをリリースするまでの経緯、そして、相武台という環境について聞いてみたい。

~2011年7月某日
米軍基地・キャンプ座間が広大な土地を占有する相武台。そのキャンプに隣接し、バイクのオイルとスプレー缶のほろ苦い薫りが充満したヤサは、初めて足を踏み入れるにも関わらず、まるで長年付き合いのある友人の部屋に来たような感覚を憶えた。レコーディング機材やグラフのピースに囲まれながら胡座をかいて、タバコを燻らせながらのインタビュー。誰かに媚びるでもなく、強要するでもなく、等身大の姿勢を保つそのスタイルについて、大いに語ってもらった。
※インタビューではNORIKIYO氏を「NORI」と表記致します。

Text by WATACO Photo by Kohei Suzuki

スケボーがヒップホップへの入り口

今年でお幾つになられたんですか?

NORI

32ですね。

生まれも育ちも相模原の相武台ですよね。

NORI

地元は相模原なんですけど、中学校だけ小田原の私立に通ったんです。

そうなんですか!どんな子供時代でした?

NORI

その私立行くために小学校の頃は塾とかばっかり行ってましたね。週6とかで。塾って言っても、色々ですけどね。例えば、スイミングとか、そろばんとか、習字、あと何やってたっけな… ああ、それこそピアノとか。で、もちろん学習塾も。

多忙な小学生だったんですね。

NORI

そう。だから、“学校が遊び”みたいな意識でしたよ。友達は「早く学校終われ」って思ってたでしょうけど、俺は学校終わっちゃうと「ああ、もう終わっちゃった…。これから仕事か…」みたいな。それに、みんなが話題に挙げるゴールデンタイムのテレビは習い事やってるから観れないワケで。腹いせに、近くの町田で塾の月謝を使い込んで遊びまくるっていう。そんな子供でしたね。

CONTRAST [インタビュー] NORIKIYO | 枠を飛び越えたスタイルを求めて

じゃあ、2ndアルバム『OUTLET BLUES』の「RUN RUN RUN」はリアルなんですね。

NORI

そうですね。そのまんまです。で、中学は小田原で普通に暮らしてたんですけど、私立をクビになったんです。ただ、クビになる前にスケボーやり始めて。

小田原でスケボーをやってたんですか?

NORI

茅ヶ崎でやってましたね。中島壮一朗っていうスケーターがいるんですけど、そいつが中学の頃同じクラスだったんで色々教えてもらって。彼はその頃からスゲー上手かったんだけど、俺なんてスケボーのスの字も知らなかった。初めて誘ってもらったときなんて、バッシュ履いて行って「お前バッシュでスケボーすんのかよ!」なんて言われて(笑)。「スケシューってのがあんの。これがetniesで、これがairwalkっつーの」ってイチから教えてもらいましたよ。あ、知らないのをいいことに、シューグーベタベタでシャカ寸(用法=SDPブログ参照)のairwalkを4,000円位で買わされたりしました(笑)。

(笑)エグイですね。それから地元に戻るんですか?

NORI

そう。その時期に学校もクビになったから、地元に帰ってきたんです。で、スケボーやってるヤツらがこの街にもいたから、ソイツらと遊ぶようになって。

なるほど。

NORI

それで、スケボーがきっかけでヒップホップって言葉を知ったんです。それまでは“ラップ”と認識してましたね。14歳くらいかな。スチャダラパーとかDA.YO.NEとか聴いてたけど、それも最初はラップであって、ヒップホップって感覚ではなかった。

スケボーが無かったらヒップホップと出会ってなかったんですね。一緒に滑ってた周りの人たちから教えてもらったんですか?

NORI

んー、“みんなで学んでった”っていうイメージですね。まずスケボーのビデオがカッコ良くて。夜中に抜け出しては友達の部屋に行って、擦り切れるまでVHSを観てました。で、使ってる曲がエンドロールに出るじゃないですか。それメモして調べて、CD屋さん行って買ったり、友人と貸し借りしてハマってった感じです。

CONTRAST [インタビュー] NORIKIYO | 枠を飛び越えたスタイルを求めて

ちなみに、ヒップホップやラップ、スケボーにハマる前はどんな音楽を聴いてたんですか?

NORI

バンドとかやってましたね。

そうなんですか!

NORI

中1とか中2くらいまでかな。まあ、小学生くらいから音楽が結構好きで。実は、昔はドラムがやりたいなって思ってたんです。ウチの親父がずっとバンドやってた人なんですけど、一緒に墓参りとか長めの旅に行くときなんかに、かけてる音楽に合わせてリズムを叩くんですよ。ハンドルで。

ああ、僕もやるんでよくわかります(笑)。

NORI

ただ、親父自身、ドラマーじゃなくてヴォーカリストだったからかも知れないけど、例えば、ドラムが“ズ・ズ・タ”ってなってるところで、“ツタツンタ”みたいに勝手にウラでリズムとったりしてて。それで「リズムって色々あるな。ドラムも面白いな」と思って、親父のリズムを真似したりしてた。今思えば、俺のラップの手法ってのは、親父がやってた“ツタツンタ”みたいなウラのリズムが生きてるかも知れないですね。

音符と音符の間への意識という感じですかね。

NORI

そう。全然考えてないんですけど、自分のラップ聴くと「あんとき親父が叩いてたリズムだな」みたいに思うことはありますね。やっぱ染み込んでんのかな。

脈々と受け継がれているんですね。バンドではどんな音楽をやってたんですか?

NORI

HELLOWEENのコピーとかやってました。

メタルの!?

NORI

そうです。

じゃあ最初はメタルの素養もあったんですね。

NORI

スコアとか買って練習してましたよ。で、俺も含めみんなが「ギターやりたい!」って言ってたんだけど、俺が一番ギターがヘタで。それで、ヴォーカルやらされたんです。

ってことはHELLOWEENのハイトーン・ヴォーカル、歌ってたんですか?

NORI

そうですよ。「アァ~~~~~!!!」っつって(笑)。

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それヤバいですね(笑)。いやあ、しかしメタルは正直意外でした。

NORI

でも、今になって和訳読んだりすると、やっぱり言ってることがヒップホップと似てるなって思いますよ。ハードコアなんかもそうだし。共感する部分は今もありますね。

クラブのお客さんを演出したかった

その後、スケボーと出会ってヒップホップに流れてくるワケですね。聴くだけじゃなく、やる側になったのは何がきっかけなんですか?

NORI

最初は、友達とブレイクダンスをやり始めたんですよ。で、ダンスを教えてくれた先輩がクラブに連れてってくれたんです。15歳くらいの頃かな。その時にDJ TA-SHIさんとDJ HASEBEさんがDJしてたんですけど、TA-SHIさんのプレイにぶっ飛ばされちゃって。「何コレ!」って。

おお!では、TA-SHIさんの影響が大きい?

NORI

でかいですね。あと、映画の『Juice』を観てたのも大きいかな。メチャメチャVHS観てました。だから、その影響でDJはバトルするものだって思ってたんですよ。でもクラブ行ってから、空気を演出してくのがDJなんだって知って。色々な種類があると知りましたね。それから、相模原に“源”っていうレゲエのクルーがいるんですけど、そこの人らがやってたクラブでDJやらせてもらえるようになったんです。16歳頃から2年くらいかな。毎週水曜日に回してました。

地元のクラブですか?

NORI

町田ですね。 FlavorとかZAPとか。

では、そこからどういう経緯でビートメイカーK-NEROになるんですか?

NORI

DJをそれなりに続けてたんですけど、99年位に自分の好きな音が市場に無くなってきた気がしたんです。例えば、JAY-Zの1st、2ndは結構好きだったんですけど、3rdは当時なかなか受け入れ難くて。もちろん今は好きなんですけど。そうやって、欲しいレコードが全然出ないジレンマがあったから「じゃあ、作っちゃおう」っていうノリでビートメイクを始めました。

つまり、欲しい音を手に入れるためだったんですね。

NORI

というか、クラブでかけたかったからかな。

ああ、クラブがベースだったんですね。

NORI

俺その頃、メロウなヤツがメチャクチャ好きで。ワーキャー言うのより、クラブでオネーチャンを口説けるような雰囲気を作るのが楽しかったんです。なんでかって、回してた水曜日ってクラブに客がほとんどいないんですよ。来るのはカップルか、必至に口説いてるヤツくらいで。まして平日ど真ん中なんで、2、3組しかいないこともザラだった。そのお客さんを演出する意味でも、メロウな音が重宝されるようになっていったんです。

メロウって言うとジャジーな音ってことですかね。

NORI

そうです。ジャズとかを掘って、メロウな部分をサンプリングしてビート作ってました。だんだんと作っていくうちに、今度はキック、スネア、ベースに分解して音を聞けるようになって、それから「最近の音もカッコいいじゃん」と思えるようになったかな。最初の頃は、気に入ったビートのネタ調べて、同じところをサンプリングして真似してビート打ってみたりして。それじゃ丸パクリだから、アレンジしたり試行錯誤してましたね。

CONTRAST [インタビュー] NORIKIYO | 枠を飛び越えたスタイルを求めて

なるほど。それからすぐラップものせるようになるんですか?

NORI

ラップにハマるのはまだ先なんですけど、16、7歳くらいかなぁ、高校生の頃にTKC(SD JUNKSTA)とブレイクダンサーのSHANがラップグループやってたんです。俺はTKCと同じクラスだったんですけど、ちょっと出来心でアイツが席を外してる時にカバン漁ったら、CDウォークマンがあって。開けたら『スチャダラ外伝』が入ってたんです。「アツイ!俺ちょうど中身無くしたヤツじゃん!コレもらい」みたいな(笑)。

手癖悪いですね(笑)。

NORI

でも、その時に「コイツはラップが好きなんだ」って頭の中に残ってたんですよ。んで、SHAN君からも誘い受けたから「面白そうだし、バックでDJやるよ」って遊びだして。それからある日、TKCと遊びながら、Warren Gの『Regulate』で初めて16小節書いてみたんです。ライブでもやってみたんですけど、俺としては全然面白くなくて。一応書いたけど、琴線にはひっかからなかった。だからラップはやらずにビート作ってましたね。

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