CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] 80年代の経験と反面教師

80年代の経験と反面教師

山嵜廣和(プロフィール)

山嵜廣和

プロフィール 山嵜廣和
日本を代表するインストゥルメンタルバンド・toeのギタリスト。2009年12月に最新アルバム『For Long Tomorrow』をリリース。ツアーの東京公演が収録された『CUT_DVD』を2010年7月に発表。FUJIROCK FESTIVAL 2010への出演、北野武出演のポカリスエットCMやNIKE RUN Fwdへの楽曲提供など幅広く活動している。ダイナミックに展開されるエモーショナルな楽曲と感情剥き出しのライブパフォーマンスで、音楽ファンを魅了して止まない。2011年1月19日発売のLITTLE CREATURESのカバーアルバム『Re:TTLE CREATURES』にtoe feat.コトリンゴとして参加。株式会社メトロノーム(Metronome Inc.)の代表・デザイナーとして、vendor、bal、JAZZY SPORT、Swagger、Phenomenon、Ciaopanicなどの店舗設計も手掛けている。
http://www.toe.st/
http://www.metronome-inc.com/
http://www.myspace.com/toemusic

第1回目のインタビューは、インストゥルメンタルバンド・toeのギタリストであり、店舗設計のデザイナーとしても活躍する山嵜廣和。自身の経験した80年代や、バブルと称される86〜91年の時代について話を伺った。インタビューの大半は、小学校から高校時代の学生生活のこと。山嵜が慣れ親しんできた当時のパンク、ハードコア、メタルといった音楽はもちろん、toeのライブDVDの副音声や配信番組『ヒゲをムシャムシャ喰べるラジオ』の中で、たびたび触れてきた”あのバンド”の話まで、どのエピソードも突き抜けて興味深い。それでは、興味関心の向けられたカルチャーを振り返ってもらいましょう。

Text by Shota Kato / Photo by wypax

運動とかじゃないところで、どうすればモテるのか。

山嵜さん、今年で何歳になりますか?

山嵜

36になりましたね。74年生まれです。

ご出身は東京ですよね?

山嵜

いや、東横線の日吉ですね。

どんな子供でした?

山嵜

基本ね、運動とか出来ないので全く。だから、女子にモテるためには何をすれば良いかということを考えていて。全体的に運動が出来る人の方がモテるじゃないですか?じゃないところでモテようっていうことを考えて生きていたと思います(笑)。

なるほど(笑)。山嵜さんには自然体とかフラットな印象を持っていたので意外です。

山嵜

いやいや。それはポーズですよ。

当時、周りで流行ってたことって覚えています?

山嵜

小学生って音楽が流行るってないでしょ?思い出してみたんだけどさ。たぶんね、すごく小さい頃に自分で買ったのは、とんねるずのアルバムが初めてで。『仏滅そだち』っていう。

どうして、とんねるずだったんですか?

山嵜

流行ってたからね、とんねるずは。オレらはモロにとんねるず世代なんで。

けっこうテレビ見ていたんですね。

山嵜

テレビばっかり見てましたね。今は全く見ないけど。『ぷっつん5』とかすごく好きでしたね、鶴太郎の。鶴ちゃん、超面白かったんだよ、昔。知らない?

他の子供を『幼いなぁ』と思ってた。でも、憧れもあるみたいな。

山嵜

オレが小学校4年くらいのときにレンタルビデオ屋が出来て、個人でやってる小さいお店がウチの近所にあったんだよ。オレ映画好きだったから、小学校高学年くらいから独りで電車に乗って、映画を観に行ったりしてて。で、いつからか、そこのビデオ屋に入り浸るようになって。ビデオ屋でバイトしてる兄ちゃんが面白がって相手してくれてさ。だからね、けっこう小さい頃から自分は他の子供と違うというか、同学年のヤツを「幼いなぁ」と思っているような子供だった。

周りを客観的に見ていた小学生だったんですね。

山嵜

そうそう。子供らしい子供っているじゃない?空気読まずに騒ぐ子どもとか、ああいうのを「ガキだなぁ」と思いながら見つつ、「いいなぁ。子供らしくて」っていう憧れもあるみたいな。

憧れはあったんですね。

山嵜

そう。そういう子だったから、自分なりに面白いことを学校じゃないところで見つけたりしていて。ビデオ屋の兄ちゃんにパシリっぽい感じで「友&愛でアレ借りてこい」とか言われてさ。最初はベストヒットUSA的なチャートのヤツを借りて来たのね。で、オレもそれをテープにダビングさせてもらってたのよ。

BOOWYは、バンドを認識してカッコイイと思ったきっかけ。

山嵜

BOOWYで覚えてるのは、たしか小学校4年生くらいだと思うんだけど、『JUST A HERO』のツアーの『GIGS』っていう武道館でやったライブのレコードが、限定のボックスみたいなヤツで出たの。で「限定だから予約しに行け」って言われて、綱島のレコード屋さんに行かされて予約したんだよ。その頃からBOOWYを聴くようになって。小4って皆そういうの聴かないじゃん?それで5年生、6年生くらいになって、給食の時間の校内放送とかにさ『MORAL』とかをかけるわけですよ。「人の不幸は〜」ってやつ。ああいうのをかけると「うわ〜。変な曲〜」とか言われたけど「コレが解んないなんてダセえな」とか思ってたりして。

年上の方からの影響が大きかったんですね。

山嵜

僕ね、年上から可愛がられるタイプなんです。調子が良いから(笑)。それで中1ぐらいになったら、急に皆BOOWYがどうのって言い始めて。「遅えな」とか思ってたんですけど。

あまり同級生の友達っていなかったんですか?

山嵜

全然いたんだけど、自分の興味があることと皆の興味があることが違うっていう感じがしてたんだろうね。たぶん、ビデオ屋の兄ちゃんとのグルーヴと地元の友達と遊ぶグルーヴを分けてたんだと思う。

これまで山嵜さんは、toeのライブDVDのオーディオ・コメンタリーや『髭ムシャ』(髭をムシャムシャ喰べるラジオ)の中で、必ずと言っていいほど、BOOWYについて言及しているシーンがありました。

山嵜

言及しているシーンね(笑)。

やはり山嵜さんを形成する上でBOOWYの存在って大きいですか?

山嵜

どうなんですかね。でも、いわゆる「バンド」っていうものを認識して、最初にカッコイイって思ったきっかけだと思うんだよね。なんかね、この前イースタンユースの吉野さんと話をして。吉野さんは当時パンクとかを聴いてたので「BOOWYなんて聴いてたの?」っていう感じなんだよね。「BOOWYを聴いてた世代と聴いていない世代で、すごい差があるよね。そこで1回分かれる感じがするよね」っていう話になって。

へぇ。BOOWYが一つの分かれ目なんでしょうか。僕はBOOWYでいうと、中学の学園祭で山田かまちを題材にした劇をやったことがあって。

山嵜

おぉ、すごいね。亡くなっちゃった人だよね。

そうです。劇の曲を全てBOOWYで統一して。それでBOOWYを初めて知ったんです。たしか氷室役の友達いましたね。

山嵜

氷室役(笑)。これ、すごくない?(BOOWYの資料を見て)毎年何か出してるんだよ。すごいスケジュールだよね。ツアーもやったり、レコーディングもやってるじゃん?ウチのバンドだったら考えられないよね。

初めて観たライブもBOOWYだったんですか?

山嵜

いや。初めては小3のときに観たチェッカーズかな。BOOWYは解散するって言ったライブのチケットが取れなくて、あとになってから、あの日に解散するって言ったって聞いてガクッてなった。LAST GIGSは行ったよ。LAST GIGSのとき、ヒムロック27歳だからね。わけわかんないでしょ?

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