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CONTRAST [インタビュー] 誰にも投げられないストレートと変化球

誰にも投げられないストレートと変化球

大岩 Larry 正志(プロフィール)

大岩 Larry 正志

プロフィール 大岩 Larry 正志
1975年生まれ、滋賀県出身。デザインオフィスONE MAN SHOW代表。「野球とデザイン」をテーマに制作活動を続け、2003年にNIKEのスポンサーによるユニフォーム展『Larry A GO GO 2003』を開催。2008年には埼玉西武ライオンズの交流戦用ユニフォームをはじめとするビジュアルをデザイン。その後、福岡ソフトバンクホークス『鷹の祭典』ユニフォーム、名球会ユニフォームとロゴデザインなども手掛ける。最近では、女子カーリング北海道銀行フォルティウスのユニフォームとロゴデザインを担当。それ以外にも、サザンオールスターズファンクラブのビジュアル、札幌パルコ新館内装グラフィックのデザインなども手掛けている。2003年度朝日広告賞大賞受賞。またLarryの名前で、アニメ『The World of GOLDEN EGGS』のボイスアクターとしても活躍中。
http://www.oneman-show.com

好きこそものの上手なれとは昔からよく言ったものだ。でも、実際に自分の好きなことを生業にできる人間は限られている。大岩 Larry 正志もその一握りの存在だ。ただし大岩の場合は、きわめて一握りの存在であることを強調しておきたい。

大岩は少年期から野球と絵を描くことが大好きだった。その後、大岩は武蔵野美術大学に進み、卒業して間もなくフリーランスのグラフィックデザイナーとしての人生を歩き始める。彼が制作活動のテーマに掲げているのは「野球とデザイン」。CDジャケットやロゴ等の制作はもちろんだが、デザインを通じて野球にコミットしている点は、クリエイターとしての大岩の特徴の一つだ。プロ野球チームのユニフォームのデザインディレクションを中心に、今までに見たことのない球種を日本球界相手に堂々と投げ込んでいる。また最近の大岩は、野球以外のスポーツとも関わり始めている。その意味において「野球とデザイン」には「スポーツとデザイン」の側面もあると言ってもいいだろう。

それだけではない。大岩は『The World of GOLDEN EGGS』のボイスアクターという顔も持っている。Larryという芸名を名乗り、相方のモニカとともに100役近いキャラクターのアテレコをこなしたことは記憶に新しい。この大ヒット脱力系アニメを通じて、彼の本業がグラフィックデザイナーであることを知った人も多いのではないだろうか。

今回は多方面で活躍する大岩のデザインワークを紹介するとともに、ボイスアクターを経て得た経験や、彼のルーツと将来のビジョンについて語ってもらった。
取材協力:LOTUS http://www.heads-west.com/lotus.html

Text by Shota Kato Photo by Daisuke Taguchi

野球が好きなんじゃなくて、数字が好きなのかも。

大岩さんは、プロ野球のユニフォームデザインを中心に、企画展やイベントを手掛けていますが、いつ頃から野球にのめり込むようになったんですか?

大岩

89年ですね。中2の頃からプロ野球をガンガン観るようになりました。

当時好きな球団はどこでしたか?

大岩

当時、僕は巨人ファンで岡崎郁選手(現・読売ジャイアンツ一軍ヘッドコーチ)が好きでした。周りの友達は阪神ファンばかりだったんですよ、学校の先生も含めて。友達と甲子園まで一緒に行くんですけど、レフトスタンドとライトスタンドに分かれるんですね。僕は巨人ファンだったからレフトスタンドに。

当時の巨人には、同じ左バッターには篠塚(和典)選手や駒田(徳広)選手、(ウォーレン・)クロマティ選手といった面々もいましたけど、なぜ岡崎選手だったんですか?

大岩

バッティングを見て、天才だと思いました。「篠塚もすごい。でも、岡崎もすごいや」って。89年の岡崎選手は、打率2割6分8厘、ホームラン12本、444打数119安打というところまで覚えています。そんなに数字は良くなかったけど、好きだったんですよね。

そこまで覚えているとは…。岡崎選手で特に印象に残っているプレーはありますか?

大岩

93年の巨人は、4番バッターが不安定なシーズンだったんですね。そこで岡崎選手は、初めて4番に座ったんですよ。そのとき4打数3安打だったんですけど、それをむっちゃ覚えていますね。

CONTRAST[インタビュー] 大岩 Larry 正志 | 誰にも投げられないストレートと変化球

他にはどんな野球の思い出がありますか?

大岩

僕、武蔵野美術大学に通っていたんですけど、大学時代に西武球場でバイトしていたんです。三塁側の内野席担当でお客さんをアテンドする係を。ファールボールが飛んで来たら、「ピーッ!」って笛を吹いて、注意を促したりしていました。

スタジアムのアルバイトって倍率が高そうですね。

大岩

西武球場のバイトをする前に、東京ドームのボールボーイに応募して、落ちたことがあって。でも、「グラウンド整備をやらないか?」って言われて、東京ドームでグラウンド整備のバイトをやっていました。でも、東京ドームは家から遠くて。西武球場が近かったから、場内案内係に応募したんですね。

学校の部活で、野球部には入らなかったんですか?

大岩

入らなかったんですよ。僕は京都の平安中学から平安高校に進学したんですね。

平安って、あの高校野球の名門校のですか?

大岩

そうです。甲子園の最多出場校で、たくさんのプロ野球選手を送り出しているんですね。だから、小さい頃から野球をやっていない僕が入れるレベルじゃないんですよ(笑)。100人くらいの部員がいたところに。母校が甲子園に出ているときはテレビで試合を観ますけど、それ以外のときは決勝戦の対戦カードも分からないくらいで。僕は高校野球には興味がないんです。

逆にプロ野球だけに魅力を感じたのはなぜでしょう?

大岩

父親に「お前、野球が好きなんじゃなくて、数字が好きなんちゃうか?」って言われたんですね。アマって試合数が少ないから数字が大きくならない。プロは百何十試合もありますから、数字がどんどん伸びて行くじゃないですか?言われて、「たしかに一理あるかもな」と思いましたね。

野球知識検定に100点満点で合格しました。

ちなみに事務所の本棚、本からグッズまでかなりの量がありますけど、このほとんどが野球関連のものですか…?

大岩

これは、ほんの一部ですね。週刊ベースボール、月刊ジャイアンツ、月刊タイガースとか…。91年から1冊も捨てずに保存しているんですよ。貯まったら実家に送るの繰り返しで、実家の僕の部屋は、コレクションの段ボールを保存する部屋になっています。父親には「何に使うねん」って言われて(笑)。

CONTRAST[インタビュー] 大岩 Larry 正志 | 誰にも投げられないストレートと変化球

お父さんには、なんと?

大岩

「持っていることに意味があるんや!」と(笑)。

(笑)。ある意味、野球博物館化しているというか。

大岩

あとは中学の頃から続けていることで、90年からジャイアンツのオープン戦からペナントレース、日本シリーズまでの記録を文章と記録でノートに残しているんですね。何回に誰がタイムリーヒットを打って逆転して、記録を作ればそれが何人目とかまで。日本シリーズはジャイアンツに関係なく残しています。ノートには事実しか書かれていないんですよ、僕の感想なんて一つも書かれていなくて。10数年以上、必ずこのノートを使っているんですね。

そんなに長く、ずっと同じノートに書き続けているんですね…。

大岩

字の汚さも同じなんですよ、中学生から大人になっても(笑)。それこそ、昔は机に向かって書いていました。父親に「勉強しているのかと思ったら、また野球か!」なんて呆れていましたけど、今はこうなったっていう(笑)。

CONTRAST[インタビュー] 大岩 Larry 正志 | 誰にも投げられないストレートと変化球

よく見ると、プロ野球60年史、70年史とかもあるんですね…。持っている方と初めてお会いしました(笑)。

大岩

普通に「なに、これ?!」みたいなことを言われます(笑)。この前ね、野球知識検定という試験があって受験したんですよ。そしたら、100点満点で5級に合格しました。

え?ちなみに何級まであるんですか?

大岩

1級まであるんですけど、まだ受験出来るのは5級と6級だけなんですよ。5級と6級は同じ試験問題なんですね。70点以上89点未満が6級、90点以上が5級でした。僕が受験したのは第1回だったんですけど、まだ第2回までしか開催されていないんですね。今年あたりに4級の試験があるのかな。こうなったら、全部100点満点を目指してやろうと思って。

どんな問題が出るんですか?

大岩

記録、歴史、ルールに関する問題ですね。プロ野球の検定ではなくて、アマチュア野球の問題も入ってるんですよ。だから、野球全般のことに関する検定なんですね。例えば、甲子園で最も勝利している監督は誰でしょう?とか。

ちなみに、何人くらい合格したんですか?

大岩

たしか数百人が合格したのかな。そのうちの50人くらいが満点でした。

その成績優秀者の一人が僕の目の前にいるっていう(笑)。

大岩

ホームページに受験番号と名前が掲出されるんですよ。僕はそれを知らなくて、人に教えてもらって初めて知りました。公式問題集も売っているので、もし良ければ受験してみて下さい。

あ、ありがとうございます。大岩さんほど野球に詳しい方って身の周りにいらっしゃるんですか?

大岩

全くいないです。記者やライターとか、野球を生業にしている人は別ですよ。好きな球団について詳しい人はたくさんいると思います。でも、僕は1934年にプロ野球が始まったところまで掘り返して勉強しているので、どの世代の人とも話せますから。

もはや、大岩さんにとって、野球は生活の一部なんですね。

大岩

そうですね。おかげで例え話まで野球っぽくなりました。カップルが別れて男を鞍替えしたら、「恋愛のFA宣言や」みたいな訳の分からないことを言ってみたりして(笑)。

「おれは何が人に負けへんかな」「あ、野球や」

少し野球を離れて、グラフィックデザイナーになりたいと思った経緯について教えて下さい。

大岩

僕は一人っ子なんですけど、小さい頃から絵を描くことが大好きだったんですね。例えば、夕方に父親はまだ仕事、母親は台所で晩ご飯の支度をしているから、僕は粘土でミニカーの基地を作ったり、キン肉マンの絵を描いたりして、一人遊びをしていました。で、友達と絵の勝負をしていたんですよ。学校から家に帰ったらラーメンマンとかの絵を描いて、次の日の学校でどっちが上手いか見せ合って。絵画コンクールで消防車の絵を描いて、金賞をもらったこともありました。

ちなみに、当時の夢は覚えていますか?

大岩

小さい頃は漫画家になりたかったです。とにかく漫画が大好きで、単行本を5000冊くらい持っているんですよ。クラス内で漫画の連載もしていました。キャプテン翼みたいなサッカー漫画を描いていて、友達に読んでもらっていたというか、読ませていたというか(笑)。中学に入ってからは、やっぱり美術の授業が大好きで。でも、悲しいことに自分の描く絵は漫画家のレベルじゃないことに気付いて、漫画家への道は断たれたんですね(泣)。その頃から「将来はものづくりをしたいなぁ」と自然に思うようになって、高校を卒業したら美大に進学したいと考えていたんです。

その後、大岩さんは武蔵野美術大学に入学するわけですけど、なぜ建築学科を選んだんですか?まだグラフィックデザインを目指す影が見えてこないですよね。

大岩

これはよく出来ていてですね…。僕の父方は、実家、親戚、従兄弟を含めて、全部が建築系なんです。僕が数字を好きなように父方は理数系の血筋なんですけど、母方はミュージシャンとかファッションデザイナーとかクリエイティブ系なんですね。

なるほど。これは余談ですけど、高橋幸宏さん(Yellow Magic Orchestra / pupa / Sketch Show)と 伊藤壮一郎さん(soeデザイナー)は、大岩さんのご親族にあたるんですよね。

大岩

そうですね。途中で辞めてしまったけど、幸宏さんもムサビでしたし、従兄弟の壮一郎もファッションブランドをやっていますし。父方と母方がちょうど良く合わさって、僕は美大の建築学科へ進むことになったんですね。

ご実家を継ぐことは考えなかったんですか?

大岩

やっぱり、一人っ子だから「実家に戻って継ぐのかなぁ」とは思っていました。でも、大学時代に、自主制作でTシャツとかのグラフィックをやっていたんですよ。そうしたら、何軒かのお店から4年のときに「ウチの店に置かせてくれ」って言われたんですね。大した金額にはならなかったですけど、それがすごく嬉しくて。建築学科って、美大の中で唯一実物を作らないんです。油絵学科は油絵を描く、インテリアデザインの学科は椅子を作る。模型や図面しか作らないフラストレーションの中で、Tシャツが実物になって、それがお金になるっていう快感がすごく気持ち良くて。それを父親に話したんですね。「実家に戻る前にやりたいことがある」と。

CONTRAST[インタビュー] 大岩 Larry 正志 | 誰にも投げられないストレートと変化球

お父さんは、なんて言ったんですか?

大岩

「お前やってみろや」って。でも、「ただし就職はあかん」って言われて。就職したら実家に帰って来ないから。それからずっと一人でやってきて、どこにも就職したことがないまま今に至るんですね。

そうでしたか。お父さんとの約束もあって、大学を卒業したときからフリーランスだったんですね。

大岩

やると決めた以上は、絶対に実家には帰りたくなかった。だから、なんとかしてやろうと。父親は「やってみろや」とは言ってくれましたけど、僕には(世の中甘くないから、どうせあかんと思うぞ)みたいなことを目で言われているのが分かっていたんです。一人っ子で兄弟がいないから、父親に対してライバル心が芽生えたというか(笑)。僕も若かったので、「やってやるからな!」という感じで、グラフィックデザイナーとしての道を歩き始めたんですね。

ちなみに、ご自身のデザイン事務所の名前になっている、ワンマンショウの由来は?

大岩

僕ね、小さい頃から自分の持ち物に名前を書くことが嫌だったんです。大岩正志だからイニシャルがO.Mじゃないですか?それに’sを付けると大岩正志のものという意味になりますよね。で、中学のときにOMSというステッカーを自分で作って、持ち物に貼っていたんですよ。今思うと、それが最初のデザインだったかもしれないですね。Tシャツを作っていたときも、タグにOMSと入れていましたし。デザイナーとして活動していく中で、OMSで始まる自分を象徴するような言葉を考えていたら、ONE MAN SHOW(ワンマンショウ)を閃いたんですね。

なるほど。では、いつから野球とデザインをテーマに掲げるようになったのか、そのきっかけを教えてもらえますか?

大岩

何年かやっていく中で「自分に武器が必要やなぁ」と思って。「おれは何が人に負けへんかな」と考えたときに、「あ、野球や」ということに気付いたんですね。ちょうどイチロー選手がメジャーリーグに行った頃に、テレビでメジャーリーグ中継がめちゃくちゃ増えましたよね。それを見て、「メジャーリーグのユニフォームってオシャレやなぁ」と思ったんです。ヤンキースのNYロゴはどこがデザインしているか知ってます?

全く分からないです…。

大岩

ティファニーです。オシャレでしょう?日本のユニフォームに思い入れはありましたけど、メジャーと比べてカッコイイかどうかは疑問に思っていました。NYと書かれた古着のTシャツを着ている人はいる。でも、「なんでYGと書かれたTシャツを着ている人は少ないんだろう?」って。だから、プロ野球のユニフォームを普段でも着ることの出来るものにしたいなって思ったんですね。そんな文化を日本にも浸透させていきたいなと思っています。

CONTRAST[インタビュー] 大岩 Larry 正志 | 誰にも投げられないストレートと変化球