CONTRASTは、創(造)る行為で私たちを魅了する人物にフォーカスし、彼らとの対話から「ものづくりの温度」を伝えるウェブマガジンです。

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CONTRAST [インタビュー] そこにあったのが、漫画だった。

そこにあったのが、漫画だった。

大橋裕之(プロフィール)

大橋裕之

プロフィール 大橋裕之
1980年生まれ。愛知県蒲郡市出身。2005年より自費出版で活動を開始し、2007年にメジャー商業誌デビュー。特徴的な目の登場人物たちが織りなす少し不思議な世界観が人気を集める。代表作に『音楽と漫画』(太田出版)、『シティライツ』(講談社)、『夏の手』(幻冬舎)、『遠浅の部屋』(カンゼン)など。 大橋裕之ブログ 撮影協力:音飯

ばかばかしくて、たまにちょっと切なくて、なんだか不思議。大橋裕之の漫画を読んだことがある人は、皆感じているのではないだろうか。実際にあるはずのない出来事が、きのう見た夢のように身近で、数えられるほどの線で描かれたページに、ざわざわと心が揺さぶられる。
彼の自伝的作品『遠浅の部屋』には、漫画家になる前の、混沌とした日々が描かれている。“自分は何になりたいのか”と悩みもがきながら、少年は漫画を描き続けた。あの日々に何を想っていたのだろう。“不思議”が生まれる場所はどこにあるんだろう。ただ聞いてみたかった。
ねぇ大橋さん、いま何考えてるんですか?

Text by Asako Saimura Photo by Hayato Oishi

ボクサーにも漫画家にもなれなかった、十代の混沌。

大橋さんは愛知県の蒲郡市出身ですよね。蒲郡ってどんなところなんですか?

大橋

海添いの地域で、すごく田舎ですね。一番近い都会が名古屋なんですけど、言葉も違うし、そんなに頻繁に行かないので遠い存在の街でした。

漫画『遠浅の部屋』(2013年6月刊行。ボクサーを目指して地元を離れたものの、ジムにはほぼ通わず、漫画を描きながら混沌とした日々を送っていた18歳、19歳の頃の自身を描いた物語。)にもありますが、小学生の頃から漫画は好きで描いていたけど、すぐに漫画家を目指したわけじゃなく、高校卒業後にボクサーを目指して名古屋に行かれたんですよね。

大橋

はい。厳密に言うと、名古屋市の隣の豊明市というところですね。ボクシングジムが名古屋市と豊明市の境目にあったので、そこから自転車で通っていました。

CONTRAST [インタビュー] 大橋裕之 | そこにあったのが、漫画だった。

そもそも、なんでボクサーだったんですか?

大橋

中学生の頃から、プロレスとか格闘技が大好きだったんです。漫画にも描いてあるとおり、別に運動神経が良いわけでもなかったんですけど、自分もやれるんじゃないか?と思ったんですよね。きっと何かおかしかったんでしょうね(笑)。

でも、ジムには通わず漫画を描いて賞に応募する日々。結局この時はボクサーにも漫画家にもなれず、一度地元に戻って就職をされたんですよね。

大橋

そうですね。就職をしたのは、地元に戻って何年間かバイトをした後です。ビルメンテナンスの会社だったんですけど、蒲郡に競艇場があって、そこに常駐しながら施設のものが壊れたら直しにいくようなことをやっていました。

この漫画を読んでいると、本人目の前にして言うのもあれなんですけど、もう苦しくて。本当にどうしようもないから(笑)。

大橋

ですよね(笑)。

CONTRAST [インタビュー] 大橋裕之 | そこにあったのが、漫画だった。

そこから東京に出てこようっていうきっかけは何だったんですか?

大橋

漫画の賞に応募しても全く引っかからないので、自分で本を作ってみたんです。調べたら、東京に自費出版の漫画を置いてくれるお店があったので、そこに置いてもらったり。ちょうどその頃、宣伝のためにブログを始めたんですけど、まだみんなmixiをやっていて、それを見て感想をくれる方がいたりして。「あ、これは自分で作りながら漫画を描いていけるのかな?」と。それと同時に、どうにも仕事が辞めたくて仕方なくて。漫画をやりたい気持ちと仕事を辞めたい気持ちが一緒になったので、上京することにしました。それが26歳の春ですね。

こっちに仕事や何かツテがあったわけではなく?

大橋

全くないですね。東京へ行こうってことは決めていたので、その年にあった漫画の新人賞に応募しておいたんです。春に結果が出るものだったんですけど、なんか変に自信があったんですよ。自分が取るだろうなと思っていたので、仕事も辞めて引っ越し先も決めて、東京に出てきたら賞も決まって順風満帆な生活が始まるんだと思ってたら、結局何にも引っかからなくて(笑)。何もないのに出てきちゃったんですよね。

精神的に大丈夫でした?

大橋

いやぁもう不安でしたよ。ずーっと気持ちがふわふわしたままで。

「こいつらよりはおもしろい」という自信。

でもその、「絶対大丈夫だろう」っていう自信はどこからきてたんでしょう。

大橋

うーん。自分がすごくおもしろいという自信よりは、新人賞もらってるのがつまらない漫画ばっかりだったので、こいつらよりはおもしろいんじゃないかっていう気持ちが強かったですね。そこから1年半くらいは、ちょこちょこ漫画を描いたり、知り合った人がいれば飲みに行ったりしながら、貯金を切り崩して生活してました。

CONTRAST [インタビュー] 大橋裕之 | そこにあったのが、漫画だった。

漫画家さんの横のつながりというか、そういうコミュニティには、東京に出てきてすぐ自分から入っていかれたんですか?

大橋

そうですね。ぼくの周りに顔が広い人がたくさん居たというのはあるんですけど、上京前にmixiで知り合っていた人と会ったり、自分の漫画を置いてもらっているお店の人が漫画家とかミュージシャンとか色んな人を紹介してくれたり。顔が広い人と紹介したがりな人がいっぱい居たのはありがたかったですね。

漫画家さんの世界って、イメージ的にはもっと内向的というか、あまり集まりたがらない人が多いのかと思ってました。

大橋

まぁ基本的には内向的だと思いますよ。僕もそういう場に呼ばれたからって、ほとんど喋らずに帰ることがしょっちゅうあったので。でも、行くとやっぱりおもしろい話が聞けるので、それが聞きたいという気持ちが大きかったですね。

CONTRAST [インタビュー] 大橋裕之 | そこにあったのが、漫画だった。

そんな時期を経て2007年に商業誌(『Quick Japan』)でデビューされるわけですが、それまでにも、ここで辞めてもいいのにっていうタイミングがいくつもあったと思うんですけど、それでも漫画を描き続けられた理由って何だったと思いますか?

大橋

そうですねぇ……。たぶん鈍感というか、変に自信があって、へこたれなかったというのが大きいと思いますね。あとはもう、何度も言うように周りの賞取ったりしてる漫画がつまらなかったので、大丈夫だろうと。

やっぱりその思いは大きかったんですね。ちなみに漫画一本で生活していけるようになったのはいつ頃ですか?

大橋

モーニング・ツーで『シティライツ』の連載が始まってからなので、30歳の頃。5年前くらいですね。

今でも、18歳の頃や上京してすぐの混沌としていた日々を思い出すことってあります?

大橋

しょっちゅうありますよ。思い出して恥ずかしくなったりもするんですけど、今はなんとか漫画家としてやっていけてるので、あれはあれでよかったのかなぁと思えますけどね。